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吉村紗也香「つらい時期も乗り越えてきた」北海道銀行と契約終了、5度目の五輪挑戦…カーリング女子日本代表・フォルティウスはなぜ“大一番で勝てた”のか?
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松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJIJI PRESS
posted2025/12/12 17:01
カーリングのミラノ五輪世界最終予選を見事に勝ち抜いたフォルティウスのスキップ・吉村紗也香
それを払拭した。初戦、難敵とみられていたアメリカを8-4で下したが、1エンドで2点を獲ったあとも終始、崩れる場面なくペースをつかんだまま試合を進めた。
「エンドと点差を見て、ここは1点でいいところとかをしっかり見ながら、リスクをあまりとらないように、シンプルショットは決めるというところに集中してやっていました」(吉村)
大会のスタートから、自分たちのカーリングができていた。
象徴的だった、小林未奈の活躍
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力を発揮できる強さを身につけられたのは、試練を乗り越えてきた過程にある。
今年2月、優勝しなければ五輪代表決定戦に出場する可能性が消える日本選手権で優勝した。
9月にはロコ・ソラーレ、SC軽井沢クラブとの代表決定戦に臨んだ。予選リーグで2連敗を喫し、後がない状態から巻き返し、最終予選に出場する日本代表となった。瀬戸際まで追い込まれながら乗り越えてきた、国内の争いの中で培った力は大きかった。
チームとしての総合力は、サード小野寺佳歩が腰の状態が悪く、予選を2試合欠場した局面が象徴している。かわりに出場した小林未奈がその代役を見事に果たしたのだ。またセカンド小谷優奈はしっかり相手のストーンを弾き出し、組み立てやすくした。
「私たちは5人の誰が出ても、どのポジションでも勝てるというチーム作りをしてきました」(小野寺)
スポンサーとの“契約終了”を乗り越えて
代表決定戦などで揉まれて培った力ばかりではない。
吉村は常呂高校生3年生だった2009年11月、常呂高校のスキップとしてバンクーバー五輪代表決定戦に出場。以来、常に第一線で活躍し、オリンピックの代表決定戦に臨む立場にあったが、跳ね返されてきた。今回、5度目のオリンピック挑戦でついにかなえた。
サードの小野寺は2014年ソチ五輪に出場して以来12年ぶりのオリンピックとなる。そしてリードの近江谷杏菜は2010年バンクーバー五輪以来、実に16年ぶりの大舞台だ。カーリングは息の長い競技ではあるとしても、異例と言ってもいい。
まだ出場経験のなかった吉村も含め、その時間は、それだけの異例とも言える長い時間、オリンピック出場をあきらめず、取り組んできたことを意味する。
しかもその途中には、スポンサーだった北海道銀行との契約が終了し、資金をどう集めるかをはじめ、競技環境や生活環境の問題に直面することもあった。


