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「東北No.1だった…“消えた天才”ピッチャー」仙台育英・須江監督が忘れられない15歳中学生…今年のドラフト取材で思い出した「大谷翔平世代の神童」
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中村計Kei Nakamura
photograph byKei Nakamura
posted2025/12/10 11:04
今年のドラフトを前に取材に応じた仙台育英・須江航監督
「大化けしたらメジャーまでいける選手って数えるほどいない。今の高校生だったらこの子しかいないと思います。買うか、買わないかはプロの皆さん次第ですね」(9月30日サンスポ電子版)
うまいなと唸らされると同時にこうも思った。須江は本当にそう信じているのだ、と。須江が人の心を動かすことに長けているのは言葉が巧みだからではない。その言葉に魂が宿っているからなのだ。
大谷翔平世代で「東北No.1だった天才ピッチャー」
須江はいつだって本気で夢を見ている。須江の口から「メジャー」という言葉を聞いたのは、実はこれで二度目だった。
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八戸大(現・八戸学院大)を卒業した須江は2006年、まずは母校の仙台育英の系列中である秀光中の軟式野球部の監督に就任している。同中学の野球部はまだ創部2年目だった。須江は翌年からの本格的な強化を目指し、その手始めとしてスカウト活動に力を入れる。そのとき須江の熱心さに根負けする形で、チームも指導者もまったく無名の野球部に入部した宮城県一、いや東北一といってもいい選手がいた。
その年の12月、「オール東北」同然の楽天ジュニアのエースを務め、NPB12球団ジュニアトーナメントにおいてチームを優勝に導いた渡辺郁也である。先日、ドジャースのワールドシリーズ連覇に貢献した大谷翔平と同世代の選手でもあった。
中学時代、全国にその名を知られていた渡辺は中学卒業後は自動的に系列の仙台育英に進むことになっていた。岩手出身の大谷も当初は仙台育英志望だったが、その年、菊池雄星を擁する地元の花巻東が甲子園で大旋風を巻き起こしたことで、進路先を花巻東に変更したのだ。その当時、関係者の間では、仙台育英も渡辺を獲れるならと大谷の獲得をあっさりと断念したと言われていた。
渡辺は投手としてだけでなく、打者としても非凡な才能を秘めていた。須江はむしろ野手としての渡辺の方を高く評価していた。しかし、早熟だった渡辺は秀光中を卒業したあと、仙台育英、青山学院大と、カテゴリーが上がるにつれ、その輝きを失っていく。そして、大学を最後に野球と決別した。
須江は何とかして野球を続けさせようとしたが、渡辺の心は完全に野球から離れてしまっていた。須江はこう悔しさを滲ませる。


