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「神のお告げだ」“バルサ18億円移籍話”が破談も…FWジュニーニョとフロンターレの幸せな関係「べティスからの誘い…心は全く動かなかった」
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/12/12 11:02
川崎フロンターレ時代のジュニーニョ
「ブラジル代表のユニフォームを付けてプレーして、感激した。引き続きバイーアでプレーした後、別の州の中小クラブを経て、2000年後半、パルメイラスに入団した。23歳になるところだった」
――パルメイラスはサンパウロに本拠を置くブラジル有数のビッグクラブ。ただ、当時、大手スポンサーが契約を解除して、経営難に陥っていた。
「給料の遅配などがあったけれど、それでも僕は懸命にプレーした。41試合に出場して6得点。これは後になって知ったんだけど、当時、バルセロナが僕の獲得を望んでいたそうだ」
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――そうだったんですか。当時のバルサは、グアルディオラやリバウドらを擁するチームでした。具体的なオファーがあったのですか?
「移籍金700万ユーロ(約12億円)の提示があったと聞いた。でも、パルメイラスが移籍金1000万ユーロ(約18億円)を要求したため、話がまとまらなかった。その後、次第に出場機会が増えた。そして2002年11月、フロンターレ関係者がストライカーを探していてブラジルへ来た際、目に止まって1年間の期限付き移籍のオファーを受けた」
イシザキさんの練習…キツかったな
――当時、Jリーグとフロンターレについて予備知識はあったのですか?
「いや、全く。代理人とクラブ関係者から説明を受けたくらいだった」
――パルメイラスは当時も今もブラジル有数のビッグクラブ。このクラブで活躍して、欧州クラブへの移籍やブラジル代表入りを目指す選択肢もあったと思います。当時J2だった川崎のオファーを受けた理由は?
「提示された条件が良かった。当時、すでに結婚していて2人目の子供が生まれたばかりで、経済的な安定が必要だったからね。それに、フロンターレからオファーを受ける少し前、不思議なことがあったんだ」
――と言いますと?
「僕と妻はキリスト教福音派の熱心な信者なんだけど、我々と親しかった福音派のシスターから、『あなたたちは非常に遠い場所へ行くことになる、という神様のお告げを受けた』と言われたんだ。 随分変なことを言うな、と思ったんだけど、フロンターレからオファーを受けて『ああ、このことか』と思った。それで、迷わずオファーを承諾した」
――当時のフロンターレの監督は石崎信弘で、ハードトレーニングで有名でした。
「確かに、きつかったな。ブラジルではまずやらないようなトレーニングだった。必死に付いていったよ」
べティスからオファー…心は動かなかった
――日本のプレースタイルをどう思いましたか?

