第102回箱根駅伝(2026)BACK NUMBER

「同期と一緒に1月3日まで全力で走り切りたい」選手とともに駆け抜けた4年間。現役大学生の学連幹事が、第102回箱根駅伝を前に語った決意

posted2025/11/26 17:00

 
「同期と一緒に1月3日まで全力で走り切りたい」選手とともに駆け抜けた4年間。現役大学生の学連幹事が、第102回箱根駅伝を前に語った決意<Number Web> photograph by Shiro Miyake

左から秋山姫歌さん、次呂久直子さん、三浦拓也さん、長束文さん

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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Shiro Miyake

 今や国民的行事となった正月の箱根駅伝。この巨大な大会を運営しているのが一般社団法人関東学生陸上競技連盟、通称・関東学連だ。

 2024年4月に「任意団体」から「一般社団法人」になったものの、創立100年を超えるこの団体は、昔も今も学生が主体となって組織運営をしてきた。つまりは、箱根駅伝を走る選手たちと同じ大学生が、舞台裏で汗水を流し成功に導いてきたということだ。彼らもまた、箱根駅伝に全力を注ぐ、ひとつのチームなのだ。

 学連幹事として活動している、幹事長の次呂久直子さん、報道担当の秋山姫歌さん、会計担当の長束文さん、日本学生陸上競技連合(日本学連)幹事長として箱根駅伝に携わる三浦拓也さんの4人に、座談会形式で、彼らが大切にしていることなどを聞いた。

──皆さん、陸上競技の経験者なのでしょうか?

次呂久 私は中学、高校と6年間陸上競技部で100mハードルを専門に競技をやっていました。そこまで強いわけではありませんでしたが、自分なりに楽しく競技に取り組んでいましたね。

秋山 私は中学がバレーボール部、高校が超少人数の吹奏楽部でした。両親がスポーツ大好きで、幼い頃からサッカーや卓球などスポーツ観戦に連れられていました。その中で私が心を惹かれたのが陸上競技です。小さい頃からずっと陸上競技を見るのが大好きでした。

親の影響で箱根駅伝好きに

長束 私は高校生のときはテニス部でした。でも、父の影響で箱根駅伝が大好きで、小学5、6年生の頃から芦ノ湖に行って選手たちを応援するのが恒例行事になっていました。お正月の醍醐味ですね。

三浦 僕は陸上競技経験は一度もないんです。小学3年から高校3年までずっと野球をやっていました。10年連続で1回戦負けの高校で、秋山の言葉を借りるなら弱小高校野球部で(笑)、1年生からキャッチャーをやっていました。で、みんなもそうだと思いますが、僕も箱根駅伝が好きで、親の影響もあって小学1年生くらいからずっと箱根駅伝を追いかけてきました。大学では、野球とは違うことをやりたいなと思って、学連幹事になることを志しました。

──高校で陸上競技部だったのは次呂久さんだけなんですね。大学でも続けようとは思いませんでしたか?

次呂久 大学で競技を続けるのはトップレベルの選手だけだと思っていたこともあって、私はそこまでのレベルではなかったですし、選手としては高校3年まででやりきって、大学では違う形で陸上競技に携わりたいと考えていました。

──関東学連の存在は、どうやって知ったのでしょうか?

三浦 僕は、高校生の時に関東学連の幹事長の記事をネットニュースで目にして関東学連の存在を知りました。それで、箱根駅伝が学生を中心に運営されていることも知りました。

長束 私は父からです。「箱根駅伝は学生がやっているんだよ」と聞いて、中学生の時から父とも「学連幹事になりたいな」と話していました。なので、今、実際にこうやって活動しているのが父もすごくうれしいようです。毎試合見に来ているので、みんなも父とは顔馴染みになっています(笑)。

次呂久 みんなと比べると、私が関東学連を知ったのは遅いんです。大学への進学が決まり、大学生になったら何をしようか考えている中で、もちろんマネージャーという選択肢もあって、中学校の先輩に相談したんです。その時に、学連幹事の存在を教えてもらいました。大学だと種目ごとのブロックでマネージャーの活動が分かれますが、学連幹事だとトラックから駅伝まで関われるので、そこに魅力を感じました。

秋山 私は箱根駅伝予選会の結果発表で知りました。本当に陸上競技が大好きだったので、大学では陸上競技に関わりたいと思っていました。もうひとつ理由があって、高校生の時に合唱祭の運営委員でコロナ対策を担当していたのですが、その合唱祭が中止になってしまったということがありました。その経験があって、大学4年間でしかできないことを最後まで達成感を持ってやり切りたいと思って、学連幹事になりました。

次呂久 初めて聞いた。びっくりした!

──皆さん、それぞれ担当がありますが、どのようにして決まるんですか?

次呂久 希望制というか、1年生の5月ぐらいに、学年で話し合って決めました。その年にもよるんですけど、学連幹事になって1カ月が経ったぐらいで、みんなで机を囲んで5時間ぐらい話し合いをしました。ひとりしか入れない担当業務もあったので、そこが一番頭を悩ませたところです。

とんでもなく“できる”同期がいて…

三浦 1年生は最初、大会で庶務係として、みんな一緒に雑務をこなします。それから、先輩たちからいろんな話を聞いて係を決めるんです。正直に言えば、僕は関東学連で幹事長をやりたかった。箱根駅伝予選会の結果発表や全体の指揮をとる幹事長の姿に憧れていましたから。でも、とんでもなく“できる”同期がいて、彼女も幹事長を希望していたんです。それで、日本学連のほうで幹事長を目指そうと……(笑)。

次呂久 最初の説明会でいろいろ話を聞いていく中で、幹事長という役職があるのを知りました。さっき秋山も言っていたように、私も大学生でしかやれないことをやりきりたいと考えていて、せっかくなら幹事長までやりたいなと思うようになりました。幹事長の大変な姿を見て、これは私には無理かもしれないと思った時もあったんですけど、係を決める時にも「幹事長をやりたいです」と言っていました。

長束 私は会計を担当しています。高校時代から細かい作業が苦ではないと感じていましたし、コンスタントに業務がある会計が私に合っていると思いました。大きな大会になると、請求書等を送る数が膨大になるので、果てしない作業になりますが、ある程度は自分のペースでできるので、楽しく業務をこなせています。

秋山 私は報道担当です。ふたつ上の大学の先輩がやっていて、それを見て純粋にかっこいいなと思ったのが理由です。他の業務は“対学生”であることが多いなか、報道は“対大人”“対社会人”なので、社会的なマナーが身に付くことをやりたいなと思ったことも理由です。

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