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新日本プロレス“2つのIWGP”の行方は…? 竹下幸之介と辻陽太「1.4」二冠戦をめぐる思い「あの場所にいたんだ、と」「IWGPヘビーを取り戻す戦い」
posted2025/11/08 11:05
IWGP世界ヘビー級王者・竹下幸之助とIWGP GLOBALヘビー級王者・辻陽太。両者は2026年1月4日に互いのタイトルをかけて東京ドームで戦う
text by

原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
新日本プロレスには「IWGP世界ヘビー級王座」と「IWGP GLOBALヘビー級王座」、IWGPの名がついた紛らわしい2つのタイトルが存在する。
IWGPヘビー級王座の歴史をたどれば、1980年代初め、アントニオ猪木のIWGP構想によって当時の新日本プロレスの歴史だったNWFヘビー級王座を封印して開催されたIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)から始まる。
IWGPをめぐる新日本プロレスの“迷走”
1983年の第1回大会は猪木舌出し失神事件でハルク・ホーガンの優勝。2回目は長州力の乱入でホーガンがリングに戻れない不明朗決着で猪木。3回目はアンドレ・ザ・ジャイアントを倒した猪木だが、その2日後にホーガンを相手にベルトをかけてIWGPヘビー級選手権を戦った。4回目はディック・マードックを下した猪木。そして最後となる1987年の5回目では「IWGPヘビー級王座」が正式にタイトル化され、マサ斎藤に勝った猪木が初代王者になった。
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タイトルがプロレス団体のビジネスツールであることは誰も否定できない。ビジネスツールではあるが、同時にタイトルに説得力を待たせることが重要なのに、新日本プロレスは迷走を繰り返した。
ヘビー級王座をタイトル化する前に、爆発的な人気を呼んだIWGPをブランド化し、まずタッグ王座、ジュニアヘビー級王座を作った。そこまではよかったが、2000年代の暗黒期をやっと抜け出し、2011年にセカンドタイトルであるIWGPインターコンチネンタル王座を作ったあたりから、IWGPヘビー級王座との差別化が微妙になっていく。それはレスラーが思う価値観とファンの受け入れ方によるものもあったが、興行上、意図的に微妙にしていったという方が正しいのだろう。
2017年にはアメリカ・マーケット進出に伴い「IWGP USヘビー級王座」も新設した。
2021年にはIWGPヘビー級とIWGPインターコンチネンタル王座を統合してIWGPに「世界」の名をかぶせるという理不尽なことをした。なぜ理不尽かというと、団体名ではないのにI(インターナショナル)にワールドを重ねるといういわば「失敗」をしたからだ。当初の理念を無視した選択だった。
どうしても世界の名をかぶせたいという思惑があったからだろうが、73代も王者が生まれた歴史あるIWGPヘビー級王座を棚上げして、新たにIWGP世界ヘビー級王座の歴史をスタートさせた。
こうして飯伏幸太が初代王者となったわけだが、原点の初代王者である猪木の名を消すために行われた名称上の「格上げ」操作の印象が強かった。だが、呪われたIWGPは世界の名をかぶせても順風満帆とはいかなかった。初代世界王者の飯伏は初防衛戦でウィル・オスプレイに敗れ、王座転落。第3代王者になった鷹木信悟への挑戦が決まったが、誤嚥性肺炎で21年夏の東京ドーム大会を欠場してしまう。


