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「やっぱり、泣いちゃうね…」全女の元プロレスラー・立野記代が涙の初告白…がんで亡くなったハーレー斉藤(享年48)が“最期に起こした奇跡”の話
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Takuya Sugiyama
posted2025/11/06 11:02
元プロレスラーの立野記代さんが、故・ハーレー斉藤さんへの思いを明かした
ハーレー斉藤の最期…病室で起きた奇跡
――思いだしてつらければ、いつでも話すことをやめてくださいね。
立野 あー、もうぜんぜん大丈夫。来年で10年もたつから。
――最期の瞬間は立ち会われたんですよね。
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立野 立ち会えました。普段は完全看護だから泊まれないんだけど、「今日はお泊まりしてください」「会いたい人をみんな呼んでください」ということで、さいちゃんの家族、神取(忍)さんに(井上)貴子、昔からの友人の銀座の店のオーナーと従業員もいた。2時間ほど前に「この注射を入れたら、もう会話ができなくなります。ご家族の方、いいですか?」と聞かれていたっていうことがあって、遅れて(ライオネス)飛鳥さんが来たんだ、「さいちゃん、遅くなってごめんね!」って。そしたら……。あっ、これ……。やっぱりちょっと……。泣いちゃうね……(あふれる涙を拭う)。
――……。
立野 そしたら……。ずっと寝てたのに、「ともさん(本名・北村智子の飛鳥の愛称)、すいません。忙しいところわざわざ来ていただいて」って言ったの! 注射を打たれてるのに、だよ。「すごいな、この人。あいさつしてる!」と(思った)。それが最期の言葉だったのか、そのへんではもうパニクってるから、よく覚えてないんだけど。その1時間ぐらい後に、亡くなったのかな。午前11時ぐらいで、その日の潮の満ち引きがそれぐらいの時間だったみたい。昼が近かった。東大の病院(東京大学医学部附属病院)に入院してたんだけど、「ここでは手術、治療はするけど、いま斉藤さんにやるべき治療はすべて終わったので、東大から紹介できる緩和ケアがありますので、ご本人と相談してください」と言われたんだけど、本人的には「東大がいい」と。
「緩和って言われて、諦めたのかなぁ」
――いまのままがいい、と。
立野 「でも、治療がいまはないから。緩和に行って治療できたら、また戻ってこれるんだよ」みたいなことを言ってたんだけど、そこからまもなく亡くなっちゃったの。もうね、「緩和」って言われたときに、あきらめたのかなぁって思った。家族がみんな、がんで亡くなってるから。おばあちゃんが喉頭がん、お父さんが50歳のときに食道がんで亡くなって、さいちゃんが亡くなった1年後にお母さんが食道がんになって。お母さんは、いまはまったく元気だけどね。家族のうち、3人がまったく同じ箇所のがんになるって、めったにないことらしい。
――そういう経験を振り返ると、いかがですか。
立野 病院はジャガー(横田)さんの(夫の木下博勝)先生に紹介してもらって(※木下氏は東京大学大学院医学博士課程修了、東京大学医学部附属病院第一外科の勤務経験がある)、さいちゃんの妹が出てきてくれたことで、役所の手続きなどがスムーズに進んで、ほんとにいろんな人に助けてもらった。料理も、さいちゃんがやってくれてたレシピを聞いてくれていたし、亡くなってからも9カ月間ほどは一緒にいてくれたから、すごい感謝してる。


