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「やっぱり、泣いちゃうね…」全女の元プロレスラー・立野記代が涙の初告白…がんで亡くなったハーレー斉藤(享年48)が“最期に起こした奇跡”の話
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Takuya Sugiyama
posted2025/11/06 11:02
元プロレスラーの立野記代さんが、故・ハーレー斉藤さんへの思いを明かした
発覚のきっかけは「ごはんが喉に引っかかった」
――斉藤さんはこの2年後に引退して、2人そろって飲食店一本に絞れたわけですが。
立野 駅前の再開発でタワマンが建つっていうことで、店は(15年)11月にいまのところに移転して。ある日一緒に朝ごはんを食べてたら、「ごはんが喉に引っかかったんだよね」って言うのね。耳鼻科に行ったら異常がなくて、大学病院に行ったら、食道にがんが見つかった。いまの店では4カ月しか働いてないから、見つかったのは次の年(16年)の2月かな。で、4月から本格的な治療を開始したの。
――当時の状態は?
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立野 先生からは、「半年後には普通の生活ができます」って言われたんで、ほんとに仲いい人だけにしか伝えなかった。本人が「半年だけならなるべく言わないで、『治療してました』でいいんじゃない?」って言ってたんでね。私は毎日病院に行ってたよ。ほら、“誰にも言わない作戦”だから、私たちが行かないと、お見舞いに来てくれる人がいなかったんで。そのころ、北斗(晶)も乳がんを公表してたので、友達が北斗に連絡してくれて、最後のほうはとてもお世話になった。あと、さいちゃんの妹は、連絡した1カ月後に仕事をやめて、(地元の静岡県から)出てきてくれたの。病院では付き添って、店も一緒にやってくれて、一緒に住んで。
医師は余命を伝えなかった
――その間、斉藤さんは生きる気満々で?
立野 うん、すごい満々で。健康だといわれることに取り組んだりして、努力もしてた。痩せちゃったけどね。ほんとは、最初に抗がん剤をやって、(悪性腫瘍が)小さくなったら手術するはずだったけど、抗がん剤がぜんぜん効かなくて。ちょっとは小さくなったけど、手術しづらい箇所で、場所も悪かったのかな。ここらへんで。
――喉じゃなくて、両胸の上のあいだあたりの食道ですかね。
立野 その後、放射線治療に移って小さくなったんだけれども、そこでたぶん肺に穴が開いちゃって、その穴を自分の腫瘍で抑えてたの。つまり、がんが小さくなると、呼吸ができなくて死んじゃう。抗がん剤がちょっと強すぎたのかな? そういう説明もちゃんと受けたんだろうけど、よくわからなかった。だんだん治るはずなのに、だんだん悪くなっていっちゃって。
――見てわかるほど?
立野 うん、わかるくらい。胃ろうができなくて、腸ろうになったのね(※胃や腸に穴を開けて管から栄養剤などを注入する方法)。「あとどれぐらいです」っていう言い方はされなくて、「生きられる方もいれば亡くなる方もいますけど、余命っていうのはないんですよ」ってね、先生から言われてた。

