- #1
- #2
野ボール横丁BACK NUMBER
「コイツは何者だ?」“無名の天才ピッチャー”に聖光学院部長が絶句した…「特待生、決まったよ」母親のウソから始まった岡野祐一郎(元中日)の逆転人生
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2025/10/18 11:05
中学時代は補欠、聖光学院でエースになった岡野祐一郎
2年秋、聖光学院は、まずは福島大会を制する。岡野は準々決勝の光南戦は83球、決勝の学法福島戦は81球で完投するという超省エネ投球を披露する。精密機械のようなコントロールを持つ岡野だからこそ可能な芸当だった。
続く東北大会は宮城県大会で2位になった石巻工業も出場していた。同校にはエースの三浦以外にも石巻中央シニアのメンバーが複数人いた。聖光学院と石巻工業は宿舎が一緒だったため、彼らに岡野は「おまえ、どうしちゃったの?」とからまれた。
中学時代、三、四番手だった投手が甲子園常連校のエースとなり、福島大会で圧巻のピッチングを披露したのだ。さぞかし驚いたことだろう。ただ、彼らの「どうしちゃったの?」という反応の中には素直な賞賛ではないものも感じた。岡野は言う。
ADVERTISEMENT
「まだ大会前だったので、この大会でも見返してやろう、と。石巻工業より先に負けるわけにはいかないと思っていました」
とうとう甲子園出場…岡野の逆襲
その石巻工業は初戦で強打の光星学院とぶつかり、1-8で7回コールド負けを喫している。
一方、聖光学院の岡野は2回戦から決勝まで4試合連続完投。決勝は光星学院に1-3で惜敗するも、東北に2枠与えられる選抜大会への出場権をほぼ手中に収めた。
監督の斎藤が感慨深げに振り返る。
「当時の光星は田村(龍弘)と北條(史也)がいたから、打線もよくてね。4、5点は取られると思ったけど、岡野はなんだかんだ3点で抑えてくれたもんな。入学してから、どんどんよくなってったよね。一気じゃなくて、微増、微増という感じで。飄々としていて、一見、何を考えてるかわかんないとこあっけど、ひたむきな子だったから。努力を惜しまないんだよ。2年秋は右バッターへのアウトローのコントロールが、もうピッタピタだったからな」
斎藤の中で岡野は「ひたむきな」選手だった。だが、斎藤が捉え切れていないこんな一面もあった。岡野がいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「聖光の中では冷めてる方だったと思います。練習中、周りの選手が過呼吸で這いつくばってるときも、僕はフリをしてしゃがんでいただけですから」
この秋、岡野は県大会から通じて全9試合に先発し、59イニングを投げた。防御率は実に0.15である。つまり、7試合に登板して1点を失うかどうかというレベルだ。このときの岡野は自信の塊だった。
「監督と部長の力かもしれないけど、自分もやれるという気持ちになっていて。聖光のやり方で自己暗示をかけるというか。あのときは、本当にできると思っちゃってましたね。いつかプロにも行きたいと思えるようになっていましたし」
◆◆◆
(中略)
その後、まさかの高校日本代表まで上り詰めた岡野。そこでチームメイトになったのが18歳の大谷翔平だった。
書籍『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』(文藝春秋)。大谷に「負けた」と言わせた少年。大谷が落選した楽天ジュニアのエース……天才たちは、30歳になってどうなったのか? 徹底取材ノンフィクション。(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

