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「(香田監督は)人生でいちばん怖い人」高校野球から“消えた名将”、部員側の証言…「ん? それ誰に言ってんだ? 指導者批判か」新天地・大学野球で生徒が反発
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/09/15 11:08
駒大苫小牧を率いて、夏の甲子園「2.9連覇」を果たした香田誉士史監督
「ん? それって誰に言ってんだ? 指導者批判か」
西部ガスを辞めた香田は、いくつかあった選択肢の中から駒澤大を選んでいる。実は過去に二度、香田は駒澤大の監督就任を打診され、いずれも断っていた。
「さすがに三度目(のオファー)はないと思ってた。でも、声をかけてくれたわけだから。俺の母校でもある。やるしかない、って。もう迷いはなかったよ」
監督に就任したばかりの頃、香田はしばらく傍観者を決め込んでいた。ただ、負けが込んできたタイミングでたまらずに動いた。
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駒澤大にはそもそも10時半という門限があった。しかし、守らない部員も多かった。香田はまずはそこから正した。現キャプテンで、当時は3年生だった出村夢太が振り返る。
「今にして思うと、これまでの駒大は時間に関してかなりルーズだったんです。だから、まずは門限を徹底しようと言われ、それから朝練に遅刻してくる選手とかもいたんですけど、そういう選手は練習に入らなくていい、と。でも、それに反発する4年生もけっこういたんです」
ミーティングの際、4年生がチームの運営法に不満をもらすこともあった。香田の口調が刺々しいものになる。
「われわれのやり方をディスったような言い方をしたりするわけよ。だから、こっちも『ん? それって誰に言ってんだ? 指導者批判か』みたいになったりしてさ。『指導者が変わったら、やり方が変わるのは当たり前だから』みたいなことを言った場面もあった。ルールくらい守れよ、って」
連敗中、香田は、次第にこう腹を括るようになっていた。
「今のままじゃダメだ、勝てるわけがねえよって思ってた。一度、下に叩き落とされて、どんだけ時間がかかるかわからねえけど、いろんなものが備わってきたときに上がればいいんだよ、って。選手に対しても『おまえら一度、落ちた方がいいよ。まずは土台作りからだ』みたいな言い方もしてたぐらいだから」
しかし、出村ら3、4年生の大半は指揮官の「2部に落ちてもいい」という発言に反発を覚えていた。


