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「立場が変わっても、朗希は高校時代のまま」ドジャース・佐々木朗希が同級生と“軟式野球”をした秘話…岩手大会決勝で先発した“もう一人の主役”の今
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byL)Kiichi Matsumoto、R)Asami Enomoto
posted2025/09/26 11:05
2019年夏、佐々木朗希に代わって先発した大船渡・柴田貴広のインタビュー(第3回)
メジャーリーガーとなった同級生の活躍に、胸躍らせる日々だ。ドジャースのデビュー戦となった今年3月19日、仲間たちのSNSは佐々木の初登板を報じるニュースの写真で溢れ返った。現在は右肩のインピンジメント症候群から復帰途上だが、柴田さんはさほど心配はしていないと話す。
「確かに調子は悪そうだけど、入ったばっかりですしね。高校時代に自分でしっかりコンディション管理をしていた朗希を見ているので、そこに関しては心配していないです。周りの期待値と今は少し離れているかもしれないけれど、そのうちそれを超えていくと思っています」
あの日の先発投手“その後の今”
“あの夏”から6年。24歳の柴田さんにとって、決勝戦での登板はいま、楽しかった高校時代の思い出の一部になっている。
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「苦い思い出だけど、部活を経験したことで今に生きている、いい思い出だな、って。投げなかったら投げなかったで、燃え尽きることなく終わったかもしれない。散々な結果だったけれど、投げて通用しなかったということで終われたのは良かったのかな、今となっては。本当に、今となっては、ですけどね」
不動産会社への外回り営業に奔走するいま、自身のプロフィールシートには、「佐々木投手の代わりに先発のマウンドに立った横手投げ右腕」と記している。
「めっちゃ打たれましたよ、って笑い話にしています。『佐々木朗希の肩を守った男』って。もちろん、本気で思ってはいないです。ネタでしかないですけどね(笑)」
「佐々木朗希を守った男」はある意味、真実だろう。決勝のマウンドに、無理をおした剛腕が上がっていたらその後どうなっていたかは誰にも分からない。しかし、その代わりを務めて6回9失点を耐え凌いだ変則右腕が、その後心塞ぎ潰れていたらどうなっていたのか――。いま胸を張り、朗らかに人生を歩む柴田さんのしなやかさこそが実は、佐々木と仲間たちの絆を守り、それぞれの心を救っているのだ。


