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「野球だけじゃ、ダメなんです」当時25歳の比嘉公也監督は“部内暴力”で揺れた沖縄尚学をどう変えたのか? 球児の心をつないだ52冊のノート

posted2025/08/29 11:01

 
「野球だけじゃ、ダメなんです」当時25歳の比嘉公也監督は“部内暴力”で揺れた沖縄尚学をどう変えたのか? 球児の心をつないだ52冊のノート<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2008年センバツ優勝を果たした沖縄尚学・比嘉公也監督。26歳での達成は最年少記録を更新する快挙だった

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夏の甲子園を制した沖縄尚学。強さの要因はどこにあるのか。2008年センバツ優勝を果たした翌年、Number編集部は当時28歳の比嘉公也監督のもとを訪ねていた。部内暴力が発覚したチームをどう立て直したのか――青年監督はある秘策を思いつく。

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「こんな内容の浅いノートは二度と見せるな」――。ノートに書かれた厳しい言葉を目にした選手たちの心はどう動いたのか。

 沖縄県・八重瀬町にある沖縄尚学高校の野球部グラウンド「尚学ボールパーク」。ダッグアウトの長机には52冊のノートが積まれていた。表紙には「野球ノート」や「野球日誌」というタイトルと名前が手書きで記されている。当時28歳の比嘉公也監督はこれらのノートを1冊ずつ手に取り、時おり黒のボールペンを走らせていた。全部員のノートをチェックし終えるのに1時間以上はかかる。

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「監督の役割というのは技術指導よりも、環境を整え、選手達に気づかせてやることだと思うんです。このノートは僕との言葉のキャッチボールを通じ、選手達にいろんなことを気づかせる重要な役割を持ってるんです」

 比嘉がノートを導入したのには理由があった。

監督就任2カ月で部内暴力が発覚

 2006年8月、母校に社会科教諭として赴任したばかりの比嘉が直面したのは野球部内での暴力事件だった。当時25歳、監督就任からわずか2カ月後のことである。翌春の選抜出場権のかかる県の秋季大会には出場できなくなった。

「結局、僕は目で見える部分でしか、選手たちのことを見ていなかったんです」

 どうすれば選手たちの心の襞まで把握できるのか。悩み抜いた末に比嘉が出した答えがノートだった。全員が1冊ずつノートを持ち、日々の練習で感じたことを文章に書き残す。提出しない部員には1週間練習禁止のペナルティも科した。

 練習が熱を帯びてくると、比嘉はダッグアウトを飛び出しグラウンドで厳しい目を光らせる。ノートを通じた部員とのコミュニケーションは、時に辛辣なものとなる。練習メニューしか記さなかった部員のノートには「お前のノートの内容は、チーム1浅い。何も考えてないから、これぐらいの文章にしかならない。情けない」と容赦なく書き込んだ。

「野球だけじゃ、駄目なんです」と比嘉は力を込める。

「毎日同じ通学路でも、なにか変化を発見する感性を養って欲しい。それは人生を豊かにすることにもつながるし、野球とも結びつく」

 このノートを通じた対話は、沖縄尚学を2008年春のセンバツ大会で優勝へと導いた。17年後の夏の全国制覇につながる指導法は、本編で詳しく描かれている。〈つづく〉

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 この記事の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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#沖縄尚学高校
#比嘉公也

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