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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「成長した姿を先生に見せたくて…」高校駅伝で話題の“集団転校”問題…“唯一残った3年生”はなぜ残留を選んだ? 全国の舞台で記者が見た「仲間との絆」
posted2025/08/28 06:04
駅伝部員による集団転校が話題となった福岡・大牟田高。たった一人、残留を決めた3年生部員がインターハイで感じた想いとは?
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和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Satoshi Wada
この4月、高校駅伝屈指の強豪である福岡・大牟田高の駅伝部員が、鳥取城北高に集団転校した。大牟田高は昨年の都大路で準優勝したチームだけに、全国の勢力図を変えることにもなりそうだ。一方で、実はたった一人だけ、転校せずに福岡に残った選手もいた。彼はなぜ、仲間と違う道を選んだのか。最後に辿り着いた全国の舞台で語ったこととは。《NumberWebレポート全2回の2回目/最初から読む》
「中学生の頃の自分には全国大会は考えられなかった。競歩を始めて良かったですし、きっかけを作ってくださった赤池先生には感謝しています」
今年7月に行われたインターハイの5000m競歩に出場した福岡・大牟田高の佐々木奏多(3年)はレース後、そんな風に語っていた。
全国高校駅伝で5度の優勝を誇る名門校である大牟田高駅伝部は今季、昨年度まで指揮をとっていた赤池健ヘッドコーチが退任。鳥取城北高駅伝部の監督に就任することになった。それに伴って、ほとんどの生徒が赤池氏を追って鳥取城北高に集団転校していた。
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そんな中でただ一人、同校に残ったのが佐々木だった。
最初で最後の全国…「勝負を仕掛けて良かった」
レース後、その赤池氏からは、一時は先頭に立つなど積極性を見せた展開に「やれることはやったんじゃないか」という言葉をかけられたという。
「あそこ(※2000m過ぎ)で先頭に出るかは正直迷ったんですけど、先生に前向きな言葉をいただいたので、自分で勝負を仕掛けて良かったなと思いました」
最後まで粘れず、もちろん悔しさはあった。それでも、恩師の言葉に、佐々木が俯くことはなかった。

