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PL学園“最強世代”はいつなのか…清原和博の答えは? “KKの背中”を追いかけて…後輩たちを一つにした「同級生の死」と「奇跡の試合」秘話
text by

城島充Mitsuru Jojima
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/21 11:06
1987年夏の甲子園で優勝し、優勝旗を受け取るPL学園の立浪和義主将。2年上のKK世代と並んで最強世代と言われるまで成長した理由はどこにあったのか
実際、甲子園から帰ってくると、それまでグラウンドを囲んでいたギャラリーの姿が消えた。新入生が合流したチームにも、重苦しい空気が流れる。ぴんと張りつめているのだが、それが決していい意味での緊張感ではないことを33期のメンバーは感じていた。
そして夏の大阪府予選を前にした6月8日、彼らは思わぬ悲劇と向き合うことになる。
同期の南雄介が、不慮の事故で命を失ったのだ。
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南は中学時代、平和台球場で120mを越えるホームランを放ち、九州の関係者に「中西太の再来」と騒がれた外野手だ。そんな逸材でも補欠に甘んじるほどチーム内の競争は激しかったが、この日の午後に行なわれた練習試合で、南はファーストの片岡とともに初めてベンチ入りを果たしていた。
「僕らの世代は1年生の秋から立浪や野村、橋本ら6人がメンバーに入ったりしましたが、僕と南はずっと補欠でした。メンバーが乗ったバスを一緒に見送りながら、『俺らもがんばろうな』って励まし合ってたんです」
片岡が表情を固くしながら語る。
「それでようやく、あの日一緒にメンバー入りできた。『似合うか』ってユニフォーム姿を見せあったことを覚えています。それなのに……」
すべての情熱を野球に注ぎ込んできた彼らにとって、球友の死はそれまで経験したことのない衝撃だった。
6大会続いた「甲子園出場」が途切れる
さらに、試練は続いた。
2年生の夏、大阪府予選の準決勝で泉州に敗れたのだ。83年の夏から続いた甲子園連続出場は6大会で途切れた。


