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「大変なところに来てしまった…」あの清原和博がすごい形相で…PL学園“最強世代”が追いかけた“KKの背中”「自分が通用するのか不安だった」
posted2025/08/21 11:05
桑田真澄、清原和博を擁して全国制覇を達成した85年のPL学園。彼らの2学年下でのちに「最強世代」と呼ばれた後輩たちはその背中をどう追いかけたのか
text by

城島充Mitsuru Jojima
photograph by
Toshihiro Kitagawa/Katsuro Okazawa
その夜、清原和博が室内練習場でバットを振り続けた逸話はよく知られている。
1985年春の選抜大会。高校生活最後のシーズンを迎えた清原と桑田真澄の「KKコンビ」を擁するPL学園は揺るぎない優勝候補だったが、準決勝の伊野商戦で苦杯をなめた。伊野商のエース渡辺智男の快速球に3三振を喫した清原は甲子園から戻ってきたあと、室内練習場で150kmに設定したマシンのボールを打ち込んだのだ。
このとき、野球部の研志寮に入ったばかりの野村弘樹も室内練習場にいた。
いまも印象に残る清原の「執念」
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広島からやってきた15歳の少年に鮮烈な印象を残したのは、傷心の清原が上半身裸になってバットを振る姿だけではない。
清原は付き添った2年生の後輩に、マシンのボールをもっとインコースに設定するように命じた。
言われたとおり、2年生がマシンの角度を変える。が、次にマシンから弾かれたボールは、清原の左足の太ももを直撃した。
「すみません……」
2年生は青ざめたが、清原は痛がるそぶりを見せなかった。ぐっと唇をかみしめながらマシンをにらみつけ、さっきと同じ位置にスタンスを固めてバットを構えたのだ。
なぜ、そのとき自分が室内練習場にいたのか、野村は覚えていない。はっきりと記憶しているのは、清原の鬼のような形相と、入学前の覚悟が少し揺らいだことである。
「あの清原さんが、甲子園で負けた日の夜に凄い形相でボールを打っている。これは、大変なところに来てしまったと思いました」


