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現地記者が見た横浜・奥村頼人の“ある行動”「ベンチの村田浩明監督を凝視して…」織田翔希もいたスター軍団「エース争いの内情」
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/20 11:07
県立岐阜商に敗れ、甲子園を後にする横浜・奥村頼人(右)、阿部葉太(左)
「いや、そんな思いはとっくに捨てました。そんなこと思ってたら、変にライバル心を持っちゃうんで。やっぱ、仲間なんで。そこにプライドを持てるような活躍もしてないですし」
投げたいという欲望を自分の中で飼い慣らすために意図的にクールに振る舞っているようにも見えた。少なくとも何の指示もないうちに外野からマウンドへ向かおうとした足取りは「ちょちょちょちょっと投げられたら」という選手のものではなかった。
タイブレーク、奥村が打たれるまで
5回途中から救援にあがった奥村は内野ゴロの間に1点を失ったが6回から9回までは「0」を並べた。
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「今日もどんな場面でも、ずっと『(奥村)頼人、頼むぞ』って声をかけてもらって、その声に背中を押してもらいました」
タイブレークに入った10回、先攻の横浜は表の攻撃で3点を奪い、一時は7−4とリードした。しかし、その裏、0アウト満塁から2塁打を打たれ、7−7の同点に追いつかれてしまう。奥村が振り返る。
「(3点リードして)アウトを1個ずつ取っていこうっていう声があって、それが気の緩みにつながってしまった。1点ぐらいなら取られてもいいというか、そういう気持ちがあったので少し逃げてしまった」
7−7のまま迎えた延長11回裏、横浜は2アウト一、三塁と一打サヨナラのピンチを迎える。左打席には4番・坂口。
ここで奥村は駆け寄ってきた捕手の駒橋優樹にこう声をかけられた。
「お前が打たれたらしょうがない。悔いのないように真っ直ぐでいくから、思い切り腕を振って投げてこい」
追い込んでからの4球目、アウトコースの高めに140kmの真っ直ぐを投げ込んだ。快音が響く。奥村が後ろを振り返ると、レフトの手前でボールが跳ねた。奥村はその場にうずくまり、しばらく動けなかった。
「思った通りに投げられたんですけど、打たれました。最後は気持ちだと思って投げたんですけど、相手の気持ちの方が強かったのかもしれません」
奥村「頼人」の意味
監督の村田に織田が背番号「1」でもいいのではないかと問いかけたことがある。すると即座にこう否定した。
「奥村ですね。はい、奥村です。信頼しているんで。奥村頼人を晴れ舞台でマウンドに立たせないと、指導者としては失格だと思っているんで」
そして、この日は奥村をこうねぎらった。
「最後は奥村で終われたので納得しています」
奥村は最後にこう感謝を口にした。
「監督は織田の方が遥かに才能があるのに僕に1番を与え続けてくれた。みんなに信頼してもらったということがいちばん嬉しかったですね」
頼人という名前の由来は2つある。1つは父親が野球をしていたときのポジションがライトだったこと。そして、もう一つは「頼られる人」になって欲しいという願いが込められていた。
奥村にとっての背番号「1」。それは頼られる人の証だった。


