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「釜本さんに聞いてみたかったこと」メキシコ五輪得点王・釜本邦茂が生前に語っていた“準備と予測”「楽にシュートを打てば全部入るっていう感覚に」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byKYODO
posted2025/08/13 11:06
国立競技場での引退試合で6万人の観衆に応える釜本邦茂(1984年当時40歳)。2025年8月10日、肺炎により81歳で生涯を閉じた
4年前の東京オリンピックでは1得点にとどまり、準々決勝で敗れて悔しい思いをしたという。全体練習後に2人が居残りで、クロスからのシュートを100本も200本も繰り返していたというのは有名なエピソード。メキシコでは7得点中5得点が杉山のアシストであった。
「パスをくれる隆さんに対しても、年上の先輩ですから『ああやってください、こうやってください』とはそれまで言えなかった。でも自分が点を獲るにはこの人からいいボールをもらわなきゃいけないし、どんなボールが出てくるのか分からなかったら得点にはならない。私が『こういう場合にはこうしてください』と言えば、杉山さんも『俺がこうしたら、お前はここに走れよ』ってお互いに要求して、コミュニケーションを取って約束ごとを2人で決めていきました。約束どおりに動いてもボールが出てこなかったら『どうしてですか?』と言えるし、逆に『なぜここに走ってこないんだ!』と怒られることもありました。『いや、1個早いですよ』とか言いながら、2人で(連係を)合わせていきましたよね」
日本はグループリーグ初戦でナイジェリア代表に釜本のハットトリックで3―1と快勝発進し、ブラジル代表、スペイン代表とは引き分けて2位通過を果たす。準々決勝のフランス代表戦でも釜本が2ゴールを挙げてフランス代表に3-1で勝ったものの、ハンガリー代表との準決勝では0-5と大敗を喫した。
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3位決定戦は相手が格上、かつホーム開催ということもあってメキシコの絶対的な優位は動かなかった。3月にもメキシコに遠征して戦い、0-4で敗れている。高地トレーニングに充てる時間もなかったため、終盤に足が止まったそうだ。「メキシコからしたら簡単に勝てる相手だと、舐めていたところはあったと思いますよ」と彼は言った。
まだ前半が終わったにすぎなかった。反撃が来るのは覚悟していた。現代では絶対に考えられない11日間で6試合目という状況。メキシコもほぼ同じ状況とはいえ、体力面において限界が近づいていた。
それでも集中が途切れなかったのは2-0が一番、危ないスコアだとの共通認識がチームにあったからだ。1967年10月、韓国代表とのオリンピック予選。前半だけで2点をリードしたが、後半に入って2点を奪われて同点に。釜本が得意の「右45度」から右足で勝ち越しゴールを挙げたものの、すぐさま追いつかれて終盤は押されまくった。
「あれで私は、勝ったと思いましたね」
結局引き分けて、その後同じ勝ち点の韓国を得失点差で上回ってメキシコへのチケットを手にした。本大会に合わせて高地対策もやった。苦しい経験を教訓にしながらプレーでも心理的な側面でも準備と予測ができていた。

