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「あの郭泰源と対戦して台湾の新聞1面に」名門・柳川高の甲子園復活に懸けるOB監督「修学旅行で宇宙旅行と甲子園、どちらが先か勝負(笑)」 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph byKatsuharu Uchida

posted2025/08/08 11:03

「あの郭泰源と対戦して台湾の新聞1面に」名門・柳川高の甲子園復活に懸けるOB監督「修学旅行で宇宙旅行と甲子園、どちらが先か勝負(笑)」<Number Web> photograph by Katsuharu Uchida

九州の古豪・柳川高を率いるOBの御所監督。その高校時代にはそうそうたる選手たちとの出会いがあった

「福田先生に監督を2回やられて、変化があったか聞いたことがあります。すると『お前たち(柳川商)の卒業生と会社を経営したら、そりゃあ儲かったやろう。右向けっていったら全員が右を向く。でも、後半(柳川)の卒業生は、右向けっていったら、全員が上や下を向くので破産しとる』って言うんです。指導や教育も変わったので、やり方を変えていったそうです。ただ、『目標は甲子園出場、目的は人間形成』という指導理念だけは譲らなかったそうです」

母校に戻って指導者になるまで

 御所さんは3年夏の福岡大会3回戦で東海大五(現東海大福岡)に敗れ、高校野球を引退。進路を決める際、福田監督からは「コーチとして残らないか」と打診を受けた。

 もちろん、選手を続けたい気持ちが強かったため、卒業後は当時静岡で活動していた社会人の関東自動車(現トヨタ自動車東日本)に入社。5年の現役生活を全うした後、監督からのコーチ要請を断り、福岡へと戻った。その後も請われて中学硬式野球の朝倉ボーイズの監督や、祐誠高のコーチを務めた。指導者としての適性があったことを、福田監督は誰よりも早く見抜いていたのだ。

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「50歳になったら高校野球に携わりたいなと思っていました。そうしたら、46歳で祐誠のコーチ、そして2012年、50歳で柳川のコーチに引っ張られて、5年前から監督になりました。こうして野球に携われているのも、福田先生のお陰です」

 母校に戻って13年の月日が経過した。御所さんが指導を始めてから、2021年夏の福岡大会8強が最高。甲子園はおろか、九州大会にも出場できていない。あの強かった頃の柳川を取り戻すべく、今は再建の道半ばだ。選手には「夢だけは絶対に捨てたらいかん」と繰り返し言い続けている。

【次ページ】 「修学旅行で宇宙旅行と甲子園、どちらが先か勝負(笑)」

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