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「貴景勝のことばかり考えていた」小学生からライバル関係…「オレら頑張ったよな」元小結・阿武咲が28歳で相撲を辞めた理由
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石井宏美Hiromi Ishii
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/30 11:04
2018年九州場所で初優勝を飾った小結・貴景勝(左)。前頭13枚目・阿武咲も中盤まで優勝戦線に絡み、敢闘賞を受賞した
打越さんが感謝してやまない存在がもう一人いる。
それが1つ年下の幼馴染で、幼い頃から兄妹のように育った妻だ。
現役時代の終盤は、体も限界を迎えていた。怪我のため、階段の上り下りさえもきつく、肩を借りなければ歩けない生活。子どもを抱っこすることさえままならず、妻曰く「介護状態」。いい時も悪い時もそばに寄り添ってくれた。
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「パパ辞めちゃうの?」と少し寂しそうだった小学1年生の長女も、満身創痍で戦っていた姿を間近で見ていたこともあり、「足が痛くなくなるね」と安心した表情を見せていたという。
引退して半年が経った今、打越さんはあらためて家族の良さを実感している。
現役時代は本場所や巡業で1年の半分以上は留守にしていたため、一緒に過ごす時間も限られていたが今は大幅にその時間も増えた。
「仕事で遅い日もあるんですけど、子どもの寝顔を見られるだけでも頑張ろうと思えるし、朝、子どもたちにご飯を食べさせて『じゃあパパ仕事に行ってくるね』と出かけられることもうれしくて。それが今のささやかな幸せです」
「角界は特別な世界。だからこそ…」
家族のことを話すと一気に表情が柔らかくなる打越さんが、グッと引き締まった顔になったのは、16歳から12年間所属した阿武松部屋に残る弟弟子たちへの思いを述べた時だ。引退した今は頻繁に連絡を取り合っているわけではないが、思いは溢れる。
「阿武剋をはじめ、部屋にいる力士たちは僕の弟たちなので。みんなには頑張ってもらいたいという思いですね」
兄貴と慕ってくれた弟弟子たちも、いずれ「引退」という節目はおとずれる。人生の岐路に立ったとき少しでも選択肢が増えるように――打越さんが第二の人生を踏み出した理由はここにもある。
「自分は相撲に育てられた。だからこそ恩も感謝も感じています。角界は特別な世界ゆえ、セカンドキャリアに困る人も多い。現役時代は部屋に所属し、協会に守られていますが、引退すれば自分で判断して決めなければいけないことばかり。やはりそこで怖いのが“失敗すること”なんです。実際、セカンドキャリアに苦労している人の話もよく聞きます。だからこそ自分はスキンケア用品の世界という新しいマーケットで、角界と力士たちに第二の人生を応援したい思いが強くて。これまでは何事においても“してもらう側”に立つことが多かったですけど、今度は自分が恩返しを、人の役に立つようなことをやっていきたい。それが新しいマーケットの構築です。それを成し遂げるには誰よりも知識がなければいけないし、人一倍頑張らないと」
将来的には独立も視野に入れ、社業に励む毎日だ。
「もともと凝り性で興味があることはとことんやる性格なんですよ。どの世界でも一生懸命やるのは同じですから」
土俵に立つ阿武咲のように、ブレない精神で第二の人生も突き進んでいく。〈全3回/第1回から続く〉
阿武咲 奎也(おうのしょう・ふみや)
本名、打越奎也。1996年7月4日生まれ、青森県出身。元小結。青森・三本木農高(現・三本木農恵拓高)1年だった2012年に国体の少年個人を制し、高校を中退して阿武松部屋へ。13年初場所で初土俵を踏み、15年初場所新十両。17年夏場所の新入幕から3場所連続で2ケタの白星を挙げ、同年九州場所に新小結となって三役を2場所務めた。幕内在位42場所。三賞は殊勲1回、敢闘3回、金星は2個。24年9月の秋場所を最後に引退した。


