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「3浪しました」“本気で東京藝大を目指した”異色の経歴…玖麗さやか25歳はなぜプロレスラーに?「練習生時代は“できない組”」スターダムで花開くまで
posted2025/07/19 17:01
スターダムで活躍する玖麗さやか(25歳)。藝大志望からプロレスラーへと転じた異色の経歴を持つ
text by

原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「3、4歳の頃、自分はミニモニになろうって思っていました」
25歳の玖麗さやかは幼い頃から語り始めた。
「活発というよりは、どっちかというと一人で絵を描いたりしていました。本を読むのが好きで。かといってめちゃ引っ込み思案というのでもない。田舎なので木登りもしてました。外でみんなとも遊びました。鉄棒や雲梯が流行っていて、うまくできないとマメができても練習していました。負けず嫌いだったんです」
“本気で東京藝大を目指した”異色の経歴
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趣味は「かわいいもの」。女の子はみんなプリキュアが好きだったという。
「母親が絵を描くのが好きだったので2、3歳の頃は小さい子のお絵かき。小学生の時は少女漫画のイラスト。大きくなるにつれて、絵画で風景を描くようになった。心象風景。高校も専門の学科があるところに行きました。油絵で鮮やかな色、きれいな色合いが好きだった。水色、黄色、赤、ピンク。色がメインの絵でした。色同士のぶつかりあいが好き。実際にあるものを自分なりの解釈で描く。リアルな絵というよりは『芸術だよね』という絵を描いていた。上手でした(笑)」
玖麗は高校を卒業した後、上京して東京藝術大学を目指した。
「藝大を目指す予備校に入って、一日中、受験対策の絵を描く。月曜から金曜、朝9時から午後5時まで。ひたすらデッサンや油絵を描く。東京藝大の油絵(絵画科)は特殊で、まず絵が重要で、(評価が)並んだときに筆記を見るといわれていて。筆記が2、3割でも受かったという先輩がいます。予備校の先生にはボロクソ言われます。自分を否定されるのと同じですから、メンタル鍛えられました。今はSNSでアンチコメント見ても大丈夫です。落ち込んでも半日です」
藝大を目指すストーリーを描いた漫画がある。
「『ブルーピリオド』ですか? あれは本当にメンタルによくないから見ない方がいいと言われました」
当然ながら藝大受験は簡単ではなかった。
「3浪しました。7浪、8浪も珍しくないので、麻痺していましたね。予備校に通うお金が足りなくなって、フリーターとして居酒屋で働きました。今年はバイトでお金を貯める年にしよう、と思って。そこのお客さんに『プロレス面白いよ』という人がいたんです。でも格闘技を見たことがないし、ダンプ松本さんや北斗晶さんのイメージしかありませんでした。最初は2022年の9月、スターダムの高田馬場大会で『5★STAR GP』の期間中でした。コスチュームもきらびやかで、照明も入っていてピカピカで、それでリングに入るとめちゃ戦っていて。プロレス面白い、好きかもって思いました。でも、翌日も見に行ったら『ショーケース』というやつで、Yシャツマッチとかやっていて」


