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「10年後にまた会いましょう」エル・デスペラードと葛西純「生きるためのデスマッチ」はなぜ感動を呼んだのか? 試合後、カメラマンが見た“ある光景”
text by

原壮史Masashi Hara
photograph byMasashi Hara
posted2025/06/26 17:25
王者エル・デスペラードに葛西純が挑んだIWGPジュニアヘビー級タイトルマッチ。6月24日、後楽園ホール
もっとも、そこは狂猿。そのまま終わることはなかった。
「葛西純の全盛期は10年後」と言い続けてレベル50まで到達している男は、赤い封筒を手にした。6月1日に大田区でデスペラードに渡したものと同じ招待状だったが、『2035 Korakuen』と手書きで足されていた。
「おかしいな。防衛したのは俺なのに、すごく負けた気がします」
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やはり葛西は、自分が心の底から必要としているものを与えてくれる。満面の笑みでそれを受け取ったデスペラードは「これ、あんたたちも貰ったと思ってくれよ」と、会場中が心の底から欲しがっていた言葉を与えた。
試合後、後楽園ホール前で見た“ある光景”
機材を片付け、後楽園ホールを出て、落書きだらけなのになぜか落ち着く階段を下ると、ビルを出たところに人だかりができていた。デスペラードvs.葛西のTシャツを着た人たちが記念撮影をしようとしている。「そこの人も入って!」と呼びかけていて、どうやら、もともと撮ろうとしていた人数よりも大所帯になっているようだ。
友人と別れる前に喋っていた人や、余韻に浸りながらなんとなくそこにいた人、物販に並んでいて出てくるのが遅くなった人。たまたま居合わせた人たちが、旧友のような距離感で、口々に「10年後ね」と言いながら、楽しそうに1枚の中に収まろうとしていた。
ついさっきまでも、そしてきっとこれからの10年間も、ほとんど互いのことを知らない他人同士だ。それでも、この日のうちのほんの数十分、人生の中のほんのわずかな時間に、同じ景色を同じように見て、同じ感情を持った人たち。
この日、後楽園ホール中が日常から逸脱し、共鳴し、ひとつになった。2人がこれまで紡いできた物語が、そしてなによりこの日の試合が、これが「生きるためのデスマッチである」と全員に思わせていたからこそだ。
非日常の空間で味わった感動や興奮といった刺激が、日常を生き続けるための、今日より明日強くなるための原動力になる。「10年後、またお会いしましょう」という合言葉の残響をそれぞれが持ち帰り、これからの10年間を生き抜く。
2035年、後楽園ホール、葛西純vs.エル・デスペラード。
招待状が無効にならないように、自分も10年間しっかり生きよう。そう思いながら、水道橋の駅を目指した。


