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スポーツ物見遊山BACK NUMBER
「ヘイ、カール!」長嶋茂雄が“面白いおじさん”に変貌した12年の浪人生活…「鉄拳制裁も辞さない熱血指導者」のイメージを変えた伝説ギャグ漫画
text by

高木圭介Keisuke Takagi
photograph byJMPA
posted2025/06/16 11:06
キャスターとして参加した1988年ソウル五輪で競泳・鈴木大地(右)を激励する長嶋茂雄。12年間の“浪人時代”はメディアに引っ張りだこだった
長嶋さんが浪人していた12年の間、元号は変わり、巨人軍の本拠地も東京ドームに移転、長男・一茂もプロ野球選手になるなど、世の中も野球界も大きく変化した。
1993年、背番号33を背負って平成の世に監督復帰した長嶋さんに、もはや熱血指導者の印象はなく、むしろコミカルな魅力をまといつつ、まるで子どもか孫でも見守るような温和な表情で采配していた印象が強い。同年に入団した松井秀喜(息子・一茂も巨人に移籍)との師弟関係にしても、実際には厳しかったのだろうが、第1次監督時代(75~80年)にあった鉄拳制裁のイメージはない。
2001年を最後にユニフォームを脱ぎ、2004年で脳梗塞を患って以降は、メディアに登場する機会もガクンと減ったものの、ここ一番で登場しては周囲を笑顔にしていた姿は、もはや現人神の領域に入っていた印象だ。晩年、懸命にリハビリする姿に安心させられつつも、ご家族も含めた誰もが“その日”が来る覚悟はしていたはず。それでもやっぱり喪失感は大きい。
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前述した『劇画 それからのパイレーツ』のラストシーン、主人公(たぶん)の犬井犬太郎がパイレーツを去る長嶋さんに「いつかまたもどってこいよ シゲ おめえみてえのがいないと野球界つまんねーよ」と語りかけるシーンがある。おそらくは作者である江口寿史自身の思いなのだろうとの想像はつく。このセリフの「野球界」を「世の中」と置き換えた言葉こそが、今ほとんどの日本人が抱く喪失感の正体なのだろう。合掌。
〈全2回/前編から続く〉

