革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「鈴木啓示監督を嫌いとかではなかった」吉井理人が“ボール蹴飛ばし事件”で近鉄から電撃トレードされた深層「あれで、気持ちが切れました」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byTakahiro Kohara
posted2025/06/13 11:07
88年からクローザーを務めた吉井理人。94年には先発として7勝を挙げたが……
「お疲れさまです、って入ったら『おー』って言ってたんやけど」
吉井が風呂を出た後、慌てていたのは、他の先輩たちだった。
「鈴木さん、怒っているから謝りに行ってこい」
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そこで初めて、近鉄の“風呂規則”に気づいたのだという。
「鈴木さんに説教されて、正座させられてね。でも『俺が若い時はな』って、その時の怒り方も、そんなにガミガミ怒るんじゃなくて、自分の経験談をいろいろと話してくれたんです。その時も、そんなにイヤじゃなかったんです。ま、自分が悪かったなと思ってね。もっとひどい、というか、殴られたりするんかなと思って行ったんですけど、行ってみたら鈴木さん、全然怒ってなくてね」
吉井のルーキー時代だから、1984年のことだ。
しかし、近鉄のレジェンド的存在である超ベテランが、若き高卒新人のちょっとした勘違いで、ベテラン用の風呂に入っていたくらいで怒り狂ったり、殴ったりでもすれば、それこそ大投手の沽券にもかかわるだろう。ちょっぴり余裕、それでいて先輩の貫禄を見せておいた、というところなのかもしれない。
監督・鈴木と選手・吉井の関係
ところが、監督としての鈴木と吉井は、何かとうまくかみ合わなかった。
1994年9月25日、吉井は千葉マリンスタジアム(当時)でロッテ戦に先発した。
初回、打線が5点の大量援護。吉井も3回までロッテ打線を1安打に封じ、序盤は絶好の試合運びを見せた。ところが4回、突如として吉井が乱れた。
先頭の樋口一紀に右前打を許すと、メル・ホールに2ラン、続くヘンスリー・ミューレンにもソロ本塁打を許して3失点。さらに平井光親が左翼線二塁打と、突然の4連打で、吉井はリードした展開でありながら、途中降板を命じられた。
ボールを“ボレーシュート”
自分の不甲斐なさに、29歳の吉井は怒りの感情を抑えることができなかった。
持っていたボールをコーチに手渡さず、突然の“ボレーシュート”。つまり、ボールを蹴飛ばした後、マウンドを降りていったのだ。
「はははは、ここでしたね。そや、そや。ボレーシュート、決まりましたね」
今回、吉井に話を聞かせてもらったのは、ロッテの本拠地・ZOZOマリンスタジアム内の一室。試合前ミーティングが始まる前の時間を使っての取材だった。
監督として主戦場となった“ここ”での、忘れがたい出来事だ。

