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「ちょっと部屋来い!」本塁打王確定も星野監督から飛び蹴り…山崎武司が明かす“天才と凡人の差”「(福留)孝介は怖がってなかった」 

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間淳

間淳Jun Aida

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photograph byMakoto Kemizaki/Takuya Sugiyama

posted2025/06/08 11:03

「ちょっと部屋来い!」本塁打王確定も星野監督から飛び蹴り…山崎武司が明かす“天才と凡人の差”「(福留)孝介は怖がってなかった」<Number Web> photograph by Makoto Kemizaki/Takuya Sugiyama

中日時代の星野仙一監督と福留孝介。山崎武司が見た“凡人との差”とは

「ちょっと部屋に来い」

 どんな悲劇が待っているのか想像できた――だが、部屋に行く以外の選択肢はない。山崎は覚悟を決めて星野の部屋をノックする。ドアを開けて視界に入ってきたのは、バスタオルを巻いてソファで足を組んでいる星野だった。次の瞬間、星野が怒号を放ちながらダッシュで向かって来る。

「お前、野口がどんな気持ちで敬遠したのか分からんのか!」

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 勢いよくジャンプした星野は山崎に飛び蹴りを見舞った。シーズン前にダイエットしたとはいえ体重約90キロの巨体が吹っ飛ぶ威力だった。山崎が苦い記憶を回想する。

「打てなかった自分が悪いですからね。ボコボコにされても仕方ないと思っていました」

 星野や野口の気持ちには応えられなかったが、山崎は1本差で逃げ切って本塁打王に輝いた。プロ10年目。戦力外の危機感と隣り合わせで、「タイトルとは無縁」と考えていた野球人生で勲章を手にした。

翌年は成績ダウン…契約更改で「好きにしてください」

 1996年は最終的に打率.322、39本塁打、107打点の成績を残した。ここから、年齢的には全盛期を迎える。ところが、本人には不安しかなかったという。

「周りからは本塁打王として見られます。翌年も結果を出さないといけない。でも、自分が打てた理由が分かっていないんです。練習嫌いの自分が野球人生で一番練習したのが、1997年の春季キャンプです」

 タイトルを獲得した翌年、山崎は揺るぎない自信や感覚をつかむため、バットを振り続けた。何を試しても、しっくりこない。グラウンドでは本塁打王の貫録を示すように振る舞ったが、内心はシーズンに入る怖さでいっぱいだった。

 心配は成績にはっきりと表れた。1997年はシーズンを通じて調子が上がらず、本塁打は前年の半分以下となる19本。打率.257、打点54と大幅に数字を落とした。山崎は「たった2年間で天国と地獄を味わいました。相手チームの攻め方以前に、自分の力不足でした」と話す。オフの契約更改では球団に「金額は好きにしてください」と伝えた。

「何の言い訳もできない成績でしたからね。球団代表は『その気持ちだよ。少し考慮した査定にしよう』と言ってくれました。金額に反映されたのかは分かりませんけど(笑)」

福留の意識に見た「天才と凡人の差」とは

 山崎は中日時代、タイトルを獲得して以降、自己最多の39本塁打を超えられなかった。30本にも、100打点にも届かなかった。その理由を理解したのは楽天に加入したキャリア晩年だった。

 引き合いに出すのは、1999年からチームメートとなった福留孝介だ。

【次ページ】 福留の意識に見た「天才と凡人の差」とは

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