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「あいつらは僕のことが嫌いだったと思いますよ」谷繁元信がいま明かす” なぜ『ドカベン』山田太郎”が好きじゃない?「動きが鈍いキャッチャーは…」
posted2025/06/17 11:00
谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)/1970年12月21日生、広島県出身。'89年にドラフト1位で横浜入団。その後中日でプレーし、'14年からは選手兼任監督に就任。'15年に引退し'16年まで監督を続けた。27年連続本塁打と捕手として2963試合に出場した記録はギネス世界記録に認定された。現在は野球解説者
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
Nanae Suzuki
発売中のNumber1121号に掲載の〈[優勝請負人の素顔]谷繁元信「信頼は正直さから」〉より内容を一部抜粋してお届けします。
「動きが鈍いキャッチャーは嫌いなんですよ」
ずんぐりむっくりで、寛容な。そんな従来の日本的捕手の枠には収まらなかった。
「山田太郎のキャッチャー像は好きじゃなかったんです」
高校野球の名作漫画『ドカベン』の主人公で、空想とはいえ捕手の1つの理想像と表現してもいい人物に対して、谷繁元信は思いを巡らす素振りさえ見せなかった。
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谷繁は横浜に13年間、中日に14年間在籍し、プロ野球史上最多となる3021試合出場を達成した名捕手だ。谷繁が山田太郎に無関心な理由をこう語る。
「動けないでしょ? 動きが鈍いキャッチャーは嫌いなんですよ」
谷繁が上の世代で理想としていたのは中日や巨人でプレーした中尾孝義だったという。いわゆるキャッチャー体型ではない、走って、守れる捕手だった。
山田太郎と谷繁が相似形を成さないのは、動きだけではない。
日本では捕手のことを「女房」にたとえがちだ。無口で包容力のある山田太郎は、古き良き日本の妻のようでもあった。
谷繁に「谷繁さんは包容力があって、献身的でというタイプとは……」と問いかけようとすると「まったくないです」と自ら告白するかのように言った。
なぜ谷繁は父性的な捕手だったのか?
あえて言えば谷繁は父性的な捕手だった。
万年Bクラスだった横浜ベイスターズが化けたのは1997年のことだ。シーズン中盤から投打の歯車がかみ合い、ヤクルトと首位争いを演じる。最終的に2位に終わったが、翌'98年には38年振りにリーグ優勝を飾り、続く日本シリーズも制した。
当時の横浜は、まるで雨後の筍のように若い投手が名乗りを上げた。三浦大輔、戸叶尚、川村丈夫、福盛和男らがそうだ。彼らの尻を叩いていたのがプロ入り10年目を迎えようとしていた谷繁だった。
「あいつらはたぶん(僕のことが)嫌だったと思いますよ。僕もまだ20代後半で大人になり切れていなかったし、負けることが嫌で嫌でしょうがなかった。なので、相当、厳しく当たっていましたから」
こんなこともあったそうだ。谷繁は淡々と振り返る。
「球団に告げ口されたこともあって」
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