野球のぼせもんBACK NUMBER
「甲子園最速158キロ」の衝撃…寺原隼人はなぜ松坂大輔の球速を超えられたのか?「投げ方をまねしたこともあった」本人が明かした24年前の真実
text by

田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/02 11:00
2001年夏の甲子園。1回戦の四日工戦で、寺原隼人は松坂大輔に並ぶ151キロを記録した
「あの松坂を超えた男」巻き起こったフィーバー
有言実行を遂げた2001年夏。寺原は一躍時の人となった。
その後、台湾で行われた第34回IBAFワールドカップに日本代表として出場。プロ・アマ合同の代表チームメンバーには藤井秀悟(ヤクルト=当時24歳)、阿部慎之助(巨人=同22歳)、井端弘和(中日=同26歳)、井口資仁(ダイエー=同26歳)、高橋由伸(巨人=同26歳)も名を連ねた中、同大会のプロ・アマ日本代表に現役高校生が選ばれたのは初めてだった。
そして11月19日に開かれたドラフト会議で、4球団(ダイエー・中日・巨人・横浜)から1位指名を受け、抽選の末、ダイエー・王貞治監督が交渉権獲得のくじを引き当てた。
ADVERTISEMENT
その翌日には王監督と中内正オーナーが宮崎まで飛んでいき、日南学園高校を訪れて指名あいさつを行うほどの熱の入れようだった。
あの松坂大輔を超えた男。
そんな枕詞とともに「寺原フィーバー」が巻き起こるのだが、その重荷が、どこかのんびりとした性格の怪腕を苦しめることになるのだった。《インタビュー第2回に続く》

