“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「一番下手くそだった僕に…」名門高校サッカー部キャプテンが“亡き恩師”に誓った夢「38歳で逝去したJリーガー横山知伸」が遺した言葉
text by

安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2025/05/27 11:03

北海道コンサドーレ札幌時代の故・横山知伸さん。サッカーに注いだ情熱は教え子たちに継承されている
インプットとアウトプットを繰り返す日々を過ごす桑原だが、横山さんから学んだことはフィジカルだけではない。一般セレクションから札幌U-15に入団した桑原は、センターバックのポジション争いの序列が一番下だった。練習や紅白戦では、当時現役を引退したばかりの横山さんとコンビを組むことが多かったのだ。
「こうしてレギュラーとして試合に出るようになって、ヨコさんからプレー面で学んだことも生きてくるようになったんです。トレーニングの人数が足りない時は一緒にピッチに入ってプレーしてくれた。一番下手くそで何もできなかった僕にポジショニングやステップワーク、見る場所や指示の出し方などを細かく教えてくれました。当時は話を聞いたり、実際のプレーを見たりして必死に真似しているだけでしたが、いざ自分がこうして高いレベルで実戦経験が積めるようになってきて、筋トレ同様に『あの時言っていたことはこうだったんだ』と理解することが増えた。本当に今のプレーの土台になっているんです」
横山さんからもらった言葉は数えきれないほどある。時に反抗することもあったが、フィジカル、メンタル、ピッチ上の状況判断、すべてが今の桑原を形成している。
盟友・菊地光将「うん……すごく嬉しいですね」
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横山さんと川崎フロンターレや大宮アルディージャで共にプレーした菊地光将に桑原の存在を伝えると、言葉を詰まらせた。
「うん……なんだか、すごく嬉しいですね。ヨコの想いを引き継いでくれる高校生がいるなんて。おそらく、ヨコは桑原君に大きな期待を寄せていたんじゃないかな。(トレーナーとしては)まだ新米で、いろいろ吸収していく途中だったはず。それでも、時には反発をしながらも必死に毎日ついてきてくれる彼らの存在がヨコにとって心の支えというか、モチベーションの源になっていたと思う。話を聞いているとヨコとの新人時代を思い出しますよ」
菊地と横山さんは学年は一つ違いだが、同期で、しかも同じセンターバックのポジションを争うライバルでもあった。それでも家族ぐるみの付き合いをする深い交流ができたのは、互いの人間性を認め合い、何よりリスペクトをし合ってきたからに他ならない。
「ヨコは昔から本が好きで、話題になっていた(ノバク・)ジョコビッチの本を読んでいち早くグルテンフリーを取り入れたりしてましたね。一番驚いたのは寮に毎朝日経新聞が届いていたこと。新聞の隅々まで目を通し、当時の寮監と経済などについて熱く語り合っていた。本当にストイックで、コミュニケーションがうまくて、熱いやつ。ヨコは引退してからもずっと変わらない日常を送っていたんだなと。指導者になった姿は見たことがないけど、桑原君たちを教えている姿が想像できますね」