マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
“野球経験ナシ”の指導者が教えた東京下町「公立中の軟式野球部」からナゼ有力選手が続々輩出?「50m四方の校庭」で“西尾先生”が伝えたこと
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安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byJIJI PRESS
posted2025/05/24 06:00

DeNAの深沢鳳介(左)やロッテの横山陸人などプロ野球選手も輩出する上一色中学。下町の公立中の軟式野球部を導いた名指導者の軌跡とは?
ピッチャーがフォームのバランスを崩しているんですが、見に来てもらえませんか……たまにそんなリクエストをいただいて、練習にうかがったこともあった。「おかげさまで、選手が落ち着きました」と、ヨイショも上手な人だった。
東京の下町の中学校で軟式野球を指導する先生方のネットワークを作り、毎年春に練習試合の大会を催したり、有名な元プロ野球選手や大学野球の指導者を招いて、その先生方と勉強会をする。そんなことも毎年行って、選手たちの勉強の場にもしていたし、西尾先生自身も熱心に学習していた。
どんなツテだったのか、元ヤクルト捕手の古田敦也さんも「上一色の土」を踏んだし、元巨人の盗塁王・松本匡史さんもその一人だ。
わからないことを「平気で人に訊ける」すごさ
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西尾先生の強みは、自分のわからないことを、平気で人に訊けることだった。人の言うことに耳を貸せる謙虚さもあったから、野球についての「ほんとのところ」をどんどん吸収していった。
それとは真逆な「指導者」たちを少なからず見てきた身には、そういう西尾先生がすごく新鮮だったし、好ましく思えた。
教えを受ける者と共に、一緒に学んで自分も成長していこうとする姿勢。それこそが、「指導者」の唯一の資格だと気づかされたのも、西尾先生のそうした日常に接することができたからだ。
40代後半で上一色中に赴任して、コンスタントに勝てるようになった。毎年当たり前のように関東大会だ、全国だとチームとしての頭角を現すようになっても、わからないことは人に訊く、教わって勉強する……そうした「西尾メソッド」に変わりはなかった。
2016年、決勝戦にまで進んだ全国大会では、対戦した宇ノ気中(石川)の剛腕・奥川恭伸(星稜高→ヤクルト)のストレートと、バッテリーを組んだ山瀬慎之助捕手(星稜高→巨人)の腰の高さで二塁送球が届く鉄砲肩に、心底驚いていた。
「ボールが見えないんだから、打てるわけがないじゃないですか!」
その試合で、奥川投手と投げ合った上一色中・土屋大和投手は、その後、関東一高、立正大のエースとして奮投し、社会人2年目の今季は、日本製鉄鹿島のエース格としてプロを目指している。