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“伝説のプロレスラー”ハヤブサが令和に復活「正体は誰なのか?」“天才的だった”江崎英治の動きを再現「賛否はあると思うが…」元相棒が語った期待
posted2025/05/13 17:00

令和に誕生したハヤブサ。その動きは江崎英治のハヤブサにそっくりだ。5月7日、富士通スタジアム川崎
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原悦生Essei Hara
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Essei Hara
4月27日に両国国技館で“復刻”デビューした令和のハヤブサは5月7日、富士通スタジアム川崎(旧・川崎球場跡)にいた。
忘れがたい“江崎英治のハヤブサ”の衝撃
プロレスファンの心には江崎英治のハヤブサが棲みついている。
もう30年以上前のことだが、1994年4月、両国国技館で行われた新日本プロレスの『スーパーJカップ』でハヤブサが獣神サンダー・ライガーと対戦した時の衝撃は忘れられない。1995年5月、川崎球場FMWのリングで大仁田厚の引退試合の相手を務めたこともしっかりと記憶している。
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FMWのハヤブサは1997年からは全日本プロレスにも参戦し、新崎人生とタッグを組むようになった。世界最強タッグ決定リーグ戦にも名を連ね、1999年2月にはアジアタッグ王座も獲得した。
そんな江崎のハヤブサだったが、2001年10月、後楽園ホールでのマンモス佐々木との試合でロープを蹴り誤って、頸椎損傷の重傷を負ってしまう。懸命のリハビリを重ねて杖を使えば歩けるまで回復し、俳優業やライブイベントもこなしていたが、2016年3月、突然のクモ膜下出血で死去した。47歳だった。
そんな江崎ハヤブサの軌跡の一部をたどるように、新しいハヤブサは川崎で新崎とタッグを組み、田中将斗&マンモス佐々木と対戦した。
「ハヤブサが怪我をして、私はハヤブサがいつでも帰って来られるよう元気な姿で待っていました。でも残念なことに江崎英治は亡くなりました。もうハヤブサと組むのはあきらめていましたが、今回、令和の時代に新しいハヤブサが誕生して、こうやってリングの上で組めることをうれしく思います。ありがとう」
新崎はかみしめるように言った。