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星野仙一が強烈ビンタ「明日から二軍へ行け」フォローなしの非情宣告…「立浪和義は殴られてない。うまいもん」元中日・上原晃が語る“本当の星野監督”
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/05/04 11:05
1988年に監督就任2年目で中日を優勝に導いた“闘将”星野仙一。上原晃も鉄拳制裁を受けたことがあるという
血行障害の苦悩…手術後も戻らなかった球速
復活をかけて臨んだ3年目はスタートから躓く。オーストラリアでの自主トレで負った右足の捻挫が響き、開幕後にファーム落ち。結局、3年目の成績は13試合、2勝5敗、防御率6.85とさらに悪くなった。
再起をかけた4年目。開幕は二軍だったが1カ月遅れで一軍へ上がると、セットアッパーながらあれよあれと勝ち星がつき、終わってみれば自己最多の46試合に投げて8勝4敗、防御率4.48の成績を残した。しかしルーキーイヤーのインパクトに比べると、いまだ「完全復活」とは言い難いものがあった。
5年目の夏、異変が生じた。いつもならすぐ治るはずの血マメがなかなか完治せず、時折右手が痺れる。病院に行くと「血行障害」と診断された。投手の場合、幾度も指を圧迫することで血管が細くなり、血液の流れに障害が生じるケースが多い。まず指先に冷えを感じて痺れを伴い、次第に感覚が麻痺して力が入らなくなってくる。
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「血流に良いと言われたのでオニオンスライスばかり食べていました。鑞で固めて温める10万円以上する機械を買ったりして、良いと思ったものはすべて試した。肩、肘はなんともないのに指先が思うようにならない。ストレスも溜まってイライラするばかりだったね」
肩や肘は万全なのに、指先の感覚が戻らない。上原は苛立つ毎日を過ごした。
「手術したらもうスピードが戻らないんじゃないか、というのが一番怖かった。与田(剛)さんが大学時代に手術しても球速が落ちなかったと聞いて、北関東の病院で手術をしました」
1992年に右手の甲の一部を切開する1回目の手術を受けた。翌93年は春季キャンプに参加し順調な回復ぶりを見せたが、シーズン途中に再発し2回目の手術。右手中指の第二関節部分で血管が押し潰れているため両側面部分を切開した。
この手術が、上原のキャリアを大きく後退させた。30年以上経った今でもくっきりと手術痕が残っている。復帰に1年以上を要し、94年はまるまるリハビリに費やした。
「痛みはないんだけど、スピードが出ない。140km出るか、出ないか……」
高校時代から夢見ていた「160kmとメジャーリーグ」
上原の頭には、デビュー当時の力勝負で打者を圧倒するイメージがこびりついていた。だが、手術して血行障害が完治しても、伸びのあるストレートは蘇らなかった。

