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銀行窓口で「口座にお金がありません」と言われ…人気絶頂“巨人のドラ4指名を拒否→社会人野球でMVP”男の現在地「野球漬けでもいい。ただね…」
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田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2025/04/21 11:02

63歳になった瀬戸山満年。80年ドラフトで4位指名を受けた巨人を入団拒否し、その後社会人野球で活躍。破天荒な球歴を送った男の現在は?
93年にプリンスホテルからの出向扱いで、東京の強豪である関東一高のコーチとなった。のちに日大三高の監督として2度の全国制覇を果たす小倉全由を4年間、支えた経験が瀬戸山を指導者の道に目覚めさせた。
「ここでどっぷり浸かっちゃいましてね。いざ『会社に戻るか』となった時に『指導者になりたいから』と辞めたんです」
16年間、野球漬けの日々を送ってきた瀬戸山は、感覚が麻痺していた。つまり社会通念上の概念が欠落しており、彼に関してそれは主に、金銭のルーズさを指していた。
銀行で「口座にお金がありません」
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プロ野球選手ほど高給取りではなかったものの、先述したように都市対抗で活躍すれば特別ボーナスを支給されるなど、遊ぶ金に困ったと感じたことはなかった。
会社を辞めてしばらくたったある日のこと。それまでと同じように銀行のキャッシュカードで現金を引き出そうとするが、ATMを操作してもそれが叶わない。疑念に感じ窓口に問い合わせると、「口座にお金がありません」と言われた。初めての経験だっただけに不思議でたまらなかった。
瀬戸山が自嘲する。
「仕事をしていないのに金を使ってるんだから、底が尽きるのは当然ですよね。今まで野球バカだったというか、働いている感覚がなかったんでしょうね。お恥ずかしい限りで」
放蕩生活を猛省した瀬戸山が、「手っ取り早く」と始めたのがトラックの運転手だった。コンビニのルート配送のアルバイトから社員に昇格し、ここで初めて労働によって対価を得る喜びを実感したのだという。
ここがきっかけとなり瀬戸山は物流業界に身を投じるわけだが、野球の指導者の道を完全に閉ざしたわけではなかった。
「地元で伝手をたどれば」と名古屋に帰ると、父親からチームを紹介された。
中学野球のチームだった。
硬式野球の団体のひとつであるヤングリーグに所属するチームの練習を初めて訪れた際、選手はたったの4人だった。
「オヤジから『監督がいなくて困ってる』と言われて来てみたら4人でしょ。『たったこれだけで何ができるの?』って」