野球クロスロードBACK NUMBER
銀行窓口で「口座にお金がありません」と言われ…人気絶頂“巨人のドラ4指名を拒否→社会人野球でMVP”男の現在地「野球漬けでもいい。ただね…」
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2025/04/21 11:02

63歳になった瀬戸山満年。80年ドラフトで4位指名を受けた巨人を入団拒否し、その後社会人野球で活躍。破天荒な球歴を送った男の現在は?
2回戦でこの年にヤクルトに2位指名される古田敦也がキャッチャーを務めたトヨタ自動車を撃破。
西武に1位指名される潮崎哲也がエースの松下電器との準決勝では、延長戦で瀬戸山がスクイズを決めて勝利した。そして、決勝では大昭和製紙北海道を退け、プリンスホテルは初優勝を遂げたのである。
瀬戸山は19打数10安打、5割2分6厘の高打率を叩き出して首位打者を獲得し、都市対抗のMVPにあたる橋戸賞を受賞した。
ADVERTISEMENT
プロへの未練を完全に断ち切っていた瀬戸山は、「プリンスホテルに入ってよかった」と、つくづく感じたという。
「石山(建一)監督からノウハウを学んだことで、キャッチャーとして頭脳を磨くことができましたし、なにより高いレベルでやれたことですよね。高山、川村、中島とかチームメートもそうだし、相手チームにもすごい選手がたくさんいましたから。でもまあ、古田がプロで名選手になるとは思いませんでしたけどね。だって、社会人時代は金属バットでも、外野の定位置くらいまでしか打球飛ばなかったですから(笑)」
都市対抗優勝で…特別ボーナス200万円⁉
都市対抗制覇に、プリンスホテルのみならず西武グループ全体が沸いた。
時はバブル景気真っ只中。総帥の堤義明もご満悦だったようで、橋戸賞に輝いた瀬戸山も恩恵にあずかったのだと懐かしむ。
「特別ボーナス200万、貰いました。当時は都市対抗に出るだけで10万とか支給されていたし、とにかくすごい時代でしたよ」
ここが瀬戸山のピークだった。
痛み始めていた右ひじの状態は年々、悪化していき、顔も洗えず、ネクタイを結ぶのにもひと苦労と、まともに動かせなくなっていた。3年後の92年。都市対抗野球で「10年連続出場選手」の表彰を花道とした瀬戸山は、30歳でユニフォームを脱いだ。
社会人野球の場合、一線から退いた選手は社業に専念するケースが多いが、瀬戸山はそこからも野球に生きた。