将棋PRESSBACK NUMBER
会長退任・羽生善治“60代でのA級棋士”はあり得るか…残酷な「順位戦降級と50歳前後の壁」谷川浩司ら永世名人資格者はどう向き合ってきた?
text by

田丸昇Noboru Tamaru
photograph byYuki Suenaga/Kiichi Matsumoto
posted2025/04/13 06:00

谷川浩司と羽生善治。それぞれ永世名人の資格を持つ2人にあって、順位戦をどのように戦うかにも注目が集まる
「羽生さんとの対局でも将棋を楽しみたい」
こう考えた谷川は97年の名人戦で羽生を破り、2回目の名人復位を果たした。名人在位通算5期によって、永世名人の資格を取得した。就位式では「将棋が強くなったかどうかは自信ありませんが、精神力は少し強くなったと思います」と挨拶した。98年の名人戦で敗れた後、A級順位戦で安定した成績を挙げていた。名人戦には3回登場した(いずれも敗退)。
2012年12月に連盟会長の米長永世棋聖が69歳で死去。それにともなって谷川は会長に就任した。しかし、棋士と会長の兼務が影響したのか、13年度のA級順位戦で降級。当時51歳だった。A級在籍は名人在位5期を含めて32期。
ADVERTISEMENT
谷川は「来期はB級1組で頑張りたい」と表明した。ただA級最終戦で駒をしまったとき、「A級の舞台で戦うのはこれが最後かな……」と思ったという。そして19年度にB級2組に降級。十七世名人襲位の際には「若手棋士と盤上で対話を楽しめるように、これからも精進していきたい」と語った。棋士人生の総仕上げにかかる心境のようだ。
46歳でフリークラス転出した森内の背景
森内俊之九段(54)は、同世代の羽生九段、佐藤康光九段(55)、郷田真隆九段(54)が若くしてタイトルを獲得した状況で、タイトル戦になかなか登場できず「無冠の帝王」と呼ばれた。
森内は2002年の名人戦で初タイトルの名人を獲得すると、以後は蓄積した実力を大いに発揮した。04年には三冠王(竜王・名人・王将)になった。03年から14年の名人戦では、保持者と挑戦者の立場で羽生と8回も対戦した。ある棋士は「《森内羽生》は、春の季語になりそう」と表現した。
07年の名人戦で防衛し、名人在位通算5期によって、森内は十八世名人の永世称号を取得した。森内より8年早く名人を獲得した羽生を追い越す結果となった。しかし14年の名人戦で敗れた後、A級順位戦で負け越しが続いた。16年度にはA級から降級した。当時46歳だった。A級在籍は名人在位8期を含めて22期。
森内ほどの実力者ならA級復帰は十分に可能だが、「フリークラス」への転出を選択した。それによって順位戦参加と名人復位の道は断たれた。本人は「A級から落ちたので……」と、多くを語らなかった。永世名人の資格者として、B級1組に在籍するのは潔しとしない考えだったのだろうか。しかし、実際は別の事情があった。