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「これを機に新しい資格を」“名誉十段”加藤一二三が提言したことも…棋士が明かす将棋界「段位」の重み「レジェンドには十段になってほしい」

posted2026/05/21 11:02

 
「これを機に新しい資格を」“名誉十段”加藤一二三が提言したことも…棋士が明かす将棋界「段位」の重み「レジェンドには十段になってほしい」<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa

故・加藤一二三さんに対して「名誉十段」を追贈することが発表された

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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Tadashi Shirasawa

 日本将棋連盟は、1月22日に肺炎のため86歳で死去した加藤一二三・九段に、「名誉十段」の称号を6月6日付で追贈することを4月21日に発表した。加藤の昇段履歴と十段への強い思い入れ、将棋界における「段位」の歴史と重み、それにまつわる制度の変遷やエピソードについて、田丸昇九段が解説する。【棋士の肩書と年齢はいずれも当時。初出以外は敬称略】

「十段」に強い思い入れを抱いていた

 1969(昭和44)年1月。第7期十段戦第7局で挑戦者の加藤一二三・八段(29)は大山康晴十段(45)を4勝3敗で破り、初タイトルの「十段」を獲得した。以後も十段を計3期獲得し、通算タイトル8期のうち最多だった。

 将棋連盟は「加藤九段が生前に十段への強い思い入れを抱いたことに敬意を表し、その志を顕彰した」と、その理由について述べた。名誉十段の追贈は、1977年に63歳で死去した塚田正夫(実力制第二代名人)以来、2人目である。

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 なお、十段は段位ではなくてタイトルの名称。1987年には十段戦が発展的に解消され、最高棋戦の「竜王戦」(主催・読売新聞社)が創設された。

 段位を実力や肩書として称するのは、将棋や囲碁の棋士だけではない。柔道、剣道、弓道、卓球、麻雀、けん玉の世界にも段位があるという。

 江戸時代初期に徳川家康が「将棋所」を開設して棋士が生まれたとき、当初は段位がなかった。時の「名人」に対しての手合(角落ち、飛車落ちなど)が実力の基準だった。中期には七段から初段までの有段者名簿(約170人)が初めて作られた。名人は最高段位の八段だった。

 その後、1946(昭和21)年にABCのクラスで実力を査定する「順位戦」制度が発足するまで、200年以上にわたって段位主体の制度が続いていた。昭和初期にはある棋士の八段昇段をめぐって、将棋連盟が分裂する事態が起きた。昔は段位の権威がそれほど重かった。

ひふみんはなぜ“ずっと八段”だったのか

 加藤は1954年8月に14歳7カ月の最年少記録で四段に昇段。史上初の「中学生棋士」になった。そして順位戦に参加すると、C級2組~C級1組~B級2組~B級1組~A級に連続昇級し、58年に18歳で八段に昇段した。現在でも最年少記録だ。

【次ページ】 升田幸三は「元名人」と名乗ったことも

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