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「日本人の暖かさ…涙腺が緩んだよ」引退試合で号泣の名ブラジル人FWが、柏レイソル加入時に驚いたこと「ジュンヤは最初、右SBをやってたけど」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2025/03/03 18:37

「日本人の暖かさ…涙腺が緩んだよ」引退試合で号泣の名ブラジル人FWが、柏レイソル加入時に驚いたこと「ジュンヤは最初、右SBをやってたけど」<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

現役最後の試合戦後、柏時代からのファンから贈られた「ありがとう、アミーゴ」と記されたフラッグを手にするディエゴ・オリヴェイラ

「そのハンディは、自分でも自覚していた」

――それでも、プロ選手になる夢は諦めなかったのですか?

「難しいのはわかっていたけれど、子供の頃からの夢。少しでも可能性がある限り、トライするつもりだった。ハンディを挽回しようと必死になって練習した。18歳でU-20に昇格し、間もなくプロ契約にこぎつけた」

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――2009年、若手の登竜門であるコパ・サンパウロに出場し、チームは準々決勝まで勝ち上がりました。

「攻守にバランスが取れたいいチームだった。大会後、トップチームの練習に参加したけれど、試合で起用されることはなかった。この年、カタール2部のクラブから期限付き移籍のオファーを受けた。19歳になったばかりだった」

カタール2部でも試合に出られない時期が

――カタールではどうでしたか?

「当時は、まだフットボールが盛んな国ではなかった。しかも2部だったから、レベルは決して高くなかった。にもかかわらず、僕以外にも外国人アタッカーがいて、ほとんど試合に出られなかった」

――まだ若いとはいえ、パラナクラブでもカタール2部でも試合に出られない……。状況としては厳しいですね。自信を失うことはなかったのでしょうか?

「いや、そういうことはなかったな。自分としては、練習を積むことで徐々にレベルアップしている、という感触があった。チャンスをもらえたらきっといいプレーができる、といつも思っていた」

――2010年7月にブラジルへ帰国し、中堅クラブのノロエスチに入団。2011年のサンパウロ州1部で14試合出場3得点をあげました。

「パルメイラス、サンパウロといったビッグクラブと対戦し、自分のプレーがある程度通用したことは大きな自信になった」

――2011年6月、韓国の水原三星ブルーウイングスへ期限付き移籍します。Kリーグの印象は?

「高いフィジカル能力を求められるリーグだった。ただ、故障もあって、ここでもプレー機会は多くなかった」

2016年、レイソルに移籍したいきさつとは

――2012年初めにブラジルへ戻り、中小クラブを転々とします。そして日本への接点が生まれたのは2016年1月のこと。柏へ移籍したいきさつは?

【次ページ】 ジュンヤ、最初は右SBをやっていたけれど

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