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「日本人の暖かさ…涙腺が緩んだよ」引退試合で号泣の名ブラジル人FWが、柏レイソル加入時に驚いたこと「ジュンヤは最初、右SBをやってたけど」
posted2025/03/03 18:37

現役最後の試合戦後、柏時代からのファンから贈られた「ありがとう、アミーゴ」と記されたフラッグを手にするディエゴ・オリヴェイラ
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沢田啓明Hiroaki Sawada
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Hiroaki Sawada
2024シーズンJ1最終節のFC東京vsセレッソ大阪戦限りで、スパイクを脱ぐ決断を下したディエゴ・オリヴェイラだが――後半18分までプレーした彼に待っていたのは、仲間たちに加えて、相手チームからの心遣いだった。
セレッソ側から申し入れ…日本人の暖かさだね
――あなたの交代のタイミングでは、ハーフウェイラインで両チームの選手が花道を作り、送り出した。ラグビーの国際試合などでは目にする光景ですが、フットボールの試合では非常に珍しい。それだけ、敵味方関係なく、選手たちから愛されていたのですね。
「あの花道を作ることは、対戦相手であるセレッソ大阪側から申し入れがあったと聞いた。感激したよ。日本人の暖かさとスポーツマンシップを改めて感じた」
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――その後、ベンチに座って試合を見ながら、ずっと泣いていましたね(笑)。
「僕は感情が高ぶると、涙腺が緩むんだ」
――FC東京は、試合終了間際にも追加点をあげ、3−0で快勝。試合後、森重真人と話し込んでいましたね。
「『これまでFC東京のために頑張ってくれて、本当にありがとう』と言ってくれた。彼のような素晴らしい選手、素晴らしい男と友情を結ぶことができたのも、日本で私が手にした得難い財産だ」
――柏やFC東京時代の話、日本への印象はまた後程お聞きするとして、生い立ちやフットボールを始めた経緯を教えてもらえますか?
「4人きょうだいの末っ子で、二卵性双生児。父親がクリチーバ郊外のコーヒー農園で働いていて、その農園にあった少年チームで4、5歳からプレーを始めた」
――ポジションは、最初からCF?
「いや、ボランチ。その後は小・中学校のチームでもプレーしたけれど、ずっとボランチだった」
――幼い頃からプロを目指していたのですか?
「ロマーリオとロナウドに憧れて、どうしてもプロ選手になりたいと思った。でも、14歳くらいの頃、地元クラブのアカデミーのテストを複数受けたけれど、受からなかった」
17歳から専門的な指導…でもプロは諦めなかった
――専門的な指導を受けたのはいつ頃からですか?
「2007年、16歳のときにパラナクラブのスクール(注:授業料を払ってプロコーチの指導を受ける。クラブ直属のアカデミーとは異なる)に入った。あるとき、試合でFWが足らなくて代役を務めたら、2得点。以後は、ずっとCFさ。そして17歳のとき、アカデミーのテストを受けて合格した」
――ブラジルで大成する選手は、ほぼ例外なく13歳前後でプロクラブのアカデミーに入って専門的な指導を受けます。17歳でアカデミーに入る、というのは例外的に遅いですね。