箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
最後の箱根は走れずとも…「大学は人生そのものについて学ぶ時間でした」元“高校歴代最速ランナー”石田洸介が振り返る「東洋大での波乱万丈」
text by

和田悟志Satoshi Wada
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/02/28 11:02

高校では世代No.1だった東洋大の石田洸介。最後の箱根路を走ることは叶わなかったが、大学では多くのことを学んだという
それでも少しずつ走る気力を取り戻すと、秋には仲間の元へと戻った。石田を奮い立たせたのは、同期の活躍だった。
「3年時は三大駅伝で一度もメンバーになれず、チームを離れていた時期もありました。でも、ここまでチームを支えてきた梅崎(蓮)と小林(亮太)が、箱根で魂のこもった攻めの走りを見せてくれて。感動しましたね。2人の走りには『このままでは絶対に終わらせない』という気迫がありました。2人の走りが、僕の心に火をつけてくれました」
「自分もチームの力になりたい」「チームを引っ張っていきたい」
ADVERTISEMENT
そんな思いが強くなったという。
迎えた大学でのラストシーズン
そして、最終学年を迎えた2024年、石田は春先から絶好調の走りを見せていた。
しかし、駅伝シーズンを前に右アキレス腱をケガ。学生三大駅伝で走ったのは全日本大学駅伝のみで、6区21位と振るわなかった。植えつけられたトラウマを振り払うはずだった箱根駅伝は、最後の4年目も走ることができなかった。
「前半のトラックシーズンが良くても、三大駅伝を全然走れないとシーズンを全て否定したくなるぐらいになってしまう。自分が過剰に思っているのかもしれませんが三大駅伝、特に箱根駅伝は学生の中で存在が大き過ぎますね」
中学、高校と華々しい活躍を見せてきた。
5000mでは実に16年ぶりとなる高校記録も出した。鳴物入りで東洋大に入学したものの、一度狂った歯車は、そう簡単に戻ってくれなかった。
「4年間はずっと厳しい状況が続きました。運が悪かったと言っちゃえばそれまでですけど……年間を通して走り続けることの難しさを感じました」
石田は実感を込めてそう話した。