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星野仙一が明かした「落合は慌てて謝りにきたよ」星野vs落合の不仲説…中日・落合博満が星野宅で謝罪した日「あいつはシャイ、誤解されやすいよな」
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2025/02/24 11:03

中日時代の星野仙一監督と落合博満(1991年撮影)。不仲説が流れた2人の本当の関係とは
中日時代の落合博満は、不協和音を囁かれた星野仙一監督とダグアウトで喜びあう姿を見た記者から、「仲が決して悪くないじゃないか?」と質問され、「それがプロの習性だよ」と答えてみせた。
ときに体罰も厭わない厳しい指導で知られる明治大学の島岡吉郎監督のもとで育った闘将と、そんな理不尽な大学球界の体質に嫌気がさして、野球部をすぐドロップアウトした一匹狼のオレ流。人生観も違えば、私生活で酒を酌み交わす仲でもない。それでも星野は、野球人・落合のプロとしての腕を誰よりも信頼していた。
移籍1年目の1987年夏、ルーキーの近藤真一がプロ初登板でノーヒットノーランの快挙を達成した試合前にこんなやりとりがあった。ナゴヤ球場のマッサージ室で横になっていた落合に星野は、「オチよ、今日は早い回から、頼むよ」と声をかけ、主砲は「監督、わかってますよ」とだけ答えた。18歳の新人投手のデビュー戦、是が非でも序盤に先手をとりたい。背番号6は1回裏、巨人先発の宮本和知から、宣言通りに23号2ランを左翼席へ。第3打席でも、二番手の岡本光から再び左中間席へ24号2ランを叩き込んでみせるのだ。
落合「あれは愚の骨頂ですよ」
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ときに記者に見出しになるリップサービスをすることはあっても、落合は決してベンチの中で、星野の面子をつぶすような言動はしなかった。選手と監督の立場の違いを理解していたのだ。元ロッテ球団代表の高橋義種は、1983年6月のペナントレース中のある出来事をこう振り返る。負けが続いた遠征先の宿舎で、代表自ら選手全員を前に「こんなことでどうする!」とゲキを飛ばして立ち去ったが、すぐさま選手会長の落合が近づいてきて、こう耳打ちされたという。
「代表、代表が選手を集めてゲキを飛ばすのは愚の骨頂ですよ。逆に監督の権威を失するし、かえってチームワークを乱すことになります」(週刊宝石1987年4月10日号)
ロッテ時代の落合は二塁、一塁、三塁と毎年のようにチーム事情で守備位置が変わったが、それに対して文句もいわず、涼しい顔で監督の起用法に従った。高橋は、世間では自己中心的と思われている落合が、ふと漏らした「個人主義と利己主義をごっちゃにされては困る」という言葉が印象に残ったという。監督の指示や命令に従わずチームワークを乱すのが“利己主義”で、対する“個人主義”とは、自己管理を徹底して、プロの責任をまっとうすることである。それこそが“オレ流”だ、と。
中日がリーグVを達成した1988年以降は、日本ハムやダイエー相手に毎年のように主砲のトレード話がメディアを賑わせたが、星野は「何だかんだといっても落合の野球に対する姿勢は大したものだ」と高く評価していた。例えば、当時の中日ベンチは、ピンチになると一塁の落合に積極的にマウンドへ行くように促していたという。その理由を、星野は監督退任後に明かしている。


