甲子園の風BACK NUMBER
「体は大きくなってしまいましたが」消えた“甲子園史上最高のセカンド”町田友潤34歳の児童福祉改革「髪型、服装、ネイル自由。残業ほぼなし」
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間淳Jun Aida
photograph byJun Aida
posted2025/02/25 11:02
常葉菊川時代の町田友潤さん。センバツ優勝と夏準優勝を経験した名二塁手は今、児童福祉の道へと歩んでいる
「今も変わりませんが、日曜の夜が全然憂鬱(ゆううつ)ではないんです。あすは仕事で嫌だなという気持ちがありません。子どもたちができなかったことをできるようになった時を見られた瞬間のうれしさは、この仕事に携わった時からずっと変わりません。幸せですね」
野球教室も並行して手がけている
町田さんが子どもたちと接する場は事業所の他にもある。それは、野球教室である。
経済的に恵まれない子どもをサポートする一般社団法人「日本未来スポーツ振興協会」の静岡支部長を務め、活動の一環として小、中学生に野球を教えている。さらに、3年前には常葉菊川時代にチームメートだった野島大介さんとともに草野球チームを立ち上げた。メンバーは高校時代の後輩や、他の高校出身の同世代が集まった。町田さんは監督に就いている。
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「単に自分たち、おじさんが野球をやって楽しむだけではダメだと思って、依頼を受けたチームを訪れて野球教室を開催しています。昔の仲間たちと体を動かすのも楽しいですし、自分は野球に育ててもらった思いが強いので、できることを返していきたいと思っています」
小・中学生のチームに行くと、子どもたちよりも保護者が喜ぶケースもある。
町田さんと同世代で、「伝説のセカンド」をリアルタイムで見ていた人は多い。町田さんは「保護者の方がリアクションは良いですね」と笑う。そして、野球教室で出会った同世代の人や草野球のチームメートからは、ある期待を寄せられていると感じている。
「自分は監督、野島はコーチの立場なので試合には出ていません。2人とも現役時代と比べて、かなり体が大きくなってしまいました。体をしぼって、今年は何試合か出場できたら良いなと思っています。周りの人たちも、プレーするところを見たいはずなので。もちろん、高校時代のようには動けませんよ。無理したら、けがをしてしまいますから」
甲子園史上最高のセカンドと呼ばれたからこそ
実質2年半しかない高校野球。その短い期間で、町田さんは児童福祉の道へ進むきっかけとなる出会いに恵まれ、「甲子園史上最高のセカンド」と評される有名選手となった。
「色々な人たちのおかげで楽しい野球人生を送ることができました」
感謝の気持ちを忘れず、第2の人生で福祉業界や野球界に恩返しを続けている。〈第1回、第2回からつづく〉

