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大谷翔平も藤浪晋太郎も“勝てなかった”同い年の天才は何者か?「高校入学直前にアクシデントあった」“中学No.1投手”はなぜプロ野球を諦めたのか
posted2025/02/21 11:01

今春キャンプでの大谷翔平。中学時代、その大谷も藤浪晋太郎も勝てなかった“天才”がいた
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
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覚えていなかった。大谷翔平の名前を、だ。
「ぜんぜん知らなかったです。(知ったのは)もっと後です」
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横塚博亮は、16年前の記憶をそう辿る。
恵比寿の喫茶店に現れた横塚は黒いスウェットとパンツ、そして真っ白なスニーカーという出で立ちをしていた。179cmという身長の割に靴のサイズは29cmと大きい。体重は115kgと現役時代から40kgほど増えたが、優れた運動選手だったのだろうなと想像させる雰囲気を漂わせていた。
初戦で大谷に圧勝…全国優勝&MVP
2009年3月28日、大阪の新日鐵住金堺製鐵所の工場内にあった堺浜球場で横塚と大谷は出会った。第15回日本リトルシニア野球全国選抜大会の1回戦のことだ。WBC決勝で日本が韓国に勝利し、劇的な連覇のドラマに日本国民が酔いしれた4日後のことでもあった。
黄金時代の西武ライオンズのユニフォームを思わせるライトブルーのユニフォームを着た一関シニアの中に、ひょろりと大きなピッチャーがいた。その選手が後に「大谷翔平」と重なることになるのだが、そのときはさして印象に残らなかった。
横塚の口調は静かな中にも、強い自負が見え隠れしていた。ただ、自分の力を誇示するような響きは感じられなかった。
「(大谷の)球は速いけど、打てないボールではなかったんで。コントロールもそんなによくなかった」
世田谷西シニアのエースだった横塚は打者・大谷とも2打席対戦し、最初の打席はレフト前ヒットを許したものの、2打席目は一塁ゴロに仕留めた。だが、その記憶もほとんどないという。
その試合は世田谷西が7−0で6回コールド勝ちを収めた。横塚は続く2回戦こそリリーフに回ったものの、その後、3回戦、準決勝、決勝に先発し、いずれも完投勝利を挙げている。6日間で5試合に登板し、失点したのは準決勝の3点のみ。世田谷西は全国制覇を成し遂げ、横塚は当然のようにMVPに選出された。