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「他局には出られない」人気絶頂の小林尊を“テレビから消した”独占契約問題…伝説のフードファイターはなぜ“賞金1000万円の引退試合”を行ったのか? 

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2025/02/17 11:02

「他局には出られない」人気絶頂の小林尊を“テレビから消した”独占契約問題…伝説のフードファイターはなぜ“賞金1000万円の引退試合”を行ったのか?<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

「大食い界のプリンス」と呼ばれた伝説のフードファイター・小林尊のインタビュー(最終回)

「あの時契約していたら、他局の番組やイベントには出られなくなっていたと思うんですよ。でも僕にとって大事だったのは、フードファイトが世の中に広がっていく可能性を常に感じながら活動すること。そこを奪われて囲い込まれたら、『一番おいしいところを味わえないじゃん』っていう感覚だったんですよね」

 局との溝は埋められないものとなり、小林は番組から姿を消した。以降はTBSの「フードバトルクラブ」の中心的存在として活躍するも、2002年4月に早食いを真似した中学生の窒息死事故が発生。番組は次々と自粛、ブームは終焉を迎える。

自由を求めた小林は、アメリカでスターになったが…

 だが、小林の情熱が潰えることはなかった。新たな戦いの場を、フードバトル大国、アメリカに求めたのだ。アメリカには大食い・早食いの興行を行う「メジャーリーグ・イーティング(MLE)」という組織があり、年間80を超える大会を主催している。

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 小林が一躍全米のスターとなったのはその一つ、ネイサンズでの圧巻の6連覇だ。100kgを優に超える大男たちに囲まれた日本の青年が、ホットドッグを次から次へと飲み込む。人呼んで“ザ・ツナミ”。2004年には現地のスポーツ専門チャンネルESPNによる中継も始まり、大会の人気を新たな次元へと押し上げた。

 タコスやハンバーガー、ソーセージなど他のフードバトルでも優勝を重ね、アメリカではもはや無敵の存在。それでも、日本でまたフードバトルクラブのような番組が再開される日を待った。しかし、その願いは叶わなかった。復活した大食い番組は競技色を薄め、キャラクターを際立たせたバラエティ寄りのもの。かつての“殴り合い”のフードバトルは、もうそこにはなかった。

「とにかく自分の鍛えた身体と胃袋を試せる場、人類最強を証明できる場を求めていたんです」

 2010年、小林はニューヨークへと移住。ところが直後、また囲い込みに見舞われる。ネイサンズ側から一方的な独占契約を迫られたのだ。

アメリカでも告げられた“たった400万円の独占契約”

 その契約は、年間400万円を支払う代わりに、許可なく他の大会に出たり、スポンサーをつけたりはできないというもの。すでに米国で名声を得ていた小林の実績からすると不当に安い金額だ。

「おそらく僕が本格的にアメリカで活動をはじめたら『他の大会に行ってしまうのではないか』と警戒したんだと思います。当時、MLEがビザスポンサーだったので『言うことを聞かなければアメリカでの活動はできなくなる』とも言われて」

 当時のネイサンズにおいて、小林は誰も触れることのできない存在だった。2位の選手に倍近い差をつけての圧勝。2007年にジョーイ・チェスナットにその座を譲ったとはいえ、大会の看板である小林を手放したくなかったのだろう。

 結局、小林は契約に応じることなく、新たなスポンサーを見つけ、ネイサンズと袂を分かつ。

 以降、MLEの大会には出場できなくなり、2010年にはネイサンズのステージに上がろうとした小林が逮捕されるという騒動も発生。だが、小林はその後も北米各地の大会で活躍し、“孤高のフードファイター”として名をはせる。2013年には彼のアメリカでの活動を追ったドキュメンタリー映画も公開された。

 しかし2020年、新型コロナウイルスの世界的な流行によりフードバトルは軒並み中止に。小林は生業を失い、パートナー・マギーさんの移住地でもある京都で暮らし始めた。

【次ページ】 賞金はなんと10万ドル…Netflixで配信された引退試合

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