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賞金1000万円、ジャイアント白田との死闘…“大食い界のプリンス”と呼ばれた小林尊が振り返るフードバトル黄金期「めっちゃ批判もされましたよ」

posted2025/02/17 11:01

 
賞金1000万円、ジャイアント白田との死闘…“大食い界のプリンス”と呼ばれた小林尊が振り返るフードバトル黄金期「めっちゃ批判もされましたよ」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

「大食い界のプリンス」と呼ばれた伝説のフードファイター・小林尊のインタビュー(第2回)

text by

荘司結有

荘司結有Yu Shoji

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

20249月、伝説のフードファイターが引退した。小林尊、日本とアメリカで地上最強と呼ばれた男である。「見世物」だった大食いを「スポーツ」に変えた革命児の内面に迫る。《NumberWebインタビュー/全3回の第2回》

平成のフードバトル界で一世を風靡した小林尊(46歳)。ジャイアント白田らと国内の大食いブームを牽引し、その後は米国を拠点に数々の世界記録を打ち立てた。昨秋に引退を表明した小林が明かす“独自のトレーニング法”、そして海外で気づいた日本人選手ならではの「強さ」とは――。

◆◆◆

 2000年のTVチャンピオン「全国大食い選手権」での小林の優勝は、世代交代を印象づけた。

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 1990年代半ばから活躍し始めた赤阪尊子、岸義行、新井和響ら「第1世代」の年長者に代わり、当時大学生だった小林を筆頭にジャイアント白田、射手矢侑大ら若手が次々と頭角を現す。

「第2世代」と呼ばれた彼らが目指したのは、大食いの競技化。すなわち大食いをエンタメではなく、厳格なルールのもとに行う“ガチのバトル”に昇華させることだった。

優勝賞金1000万円、高級店の料理で行われた新番組

 その時代を象徴するのが、2001年からTBSで始まった「フードバトルクラブ(FBC)」だ。大食い・早食いを「フードバトル」と名づけ、“最強のフードファイター”を決めるというコンセプト。大食いと早食い両方で勝負する“The King Of Masters”や早食いに特化した“The Speed”など一年で計4回放送され、優勝賞金は1000万円と破格だった。

 それまで大食いや早食いはエンタメであり、参加者たちは奇人、変人に分類されがちだった。大食いの扱いは、手品やマジックのような「一発芸」に近かった。しかし、小林は違った。誰よりも多く、速く食べるために己の身体を鍛え上げ、独自のテクニックを磨く。それは、まさしくアスリートの範疇に入るものだった。

 大食いを新たなスポーツとして見せる――番組の価値観に、小林も強く共感したという。

「それまでの大食いってバラエティだったんですよね。食べ物が間に合わなくても笑いが取れればいいし、本気で食べている最中にマイクを向けられることもあった。フードバトルクラブはそういう要素を一切取り除いた番組でした。スポーツとしての競争、格闘技のような演出で、僕らのことも一アスリートとして扱ってくれた。制作者側のメンタリティがまるで違ったんだと思います」

 メンタリティの違い。それを表す一つが、料理の内容だ。

【次ページ】 人気を生んだ「ジャイアント白田との死闘」

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