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「タイガースで本当によかった」戦力外通告から4年…阪神“元ドラ1左腕”が選んだ意外な転身人生「藤浪晋太郎、青柳晃洋、岩崎優…今も切れない阪神の縁」
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栗田シメイShimei Kurita
photograph byNumberWeb
posted2025/02/14 11:09

2月21日で31歳になる横山雄哉。引退後も阪神の試合は欠かさずチェックしている「球児さんの監督、楽しみですね」
県を跨ぐ自宅から電車通勤し、朝から19時までは同社の業務。それ以降、終電までの時間はブランドの立ち上げ作業。それでも十分な時間を確保できないと考え、会社の近くにマンスリーマンションを借りて深夜まで洋服作りと向き合う日々を過ごす。横山は馬車馬のように働いた。
人生でPCすら触ったことがなく、ビジネスメールの打ち方も分からない。「お世話になります」の意味も知らなかった。仕事上での挨拶の仕方や、ビジネス上の建前も理解できなかったともいう。
「自分は野球しかやってこなかったから何も分からない立場にある」
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横山はそう心の奥底に刻んでいた。分からないことは何でも質問し、ビジネスの世界を学ぶためにどんなアドバイスも受け入れた。そんな意識が加速度的な成長をもたらす。
営業成績を伸ばし、同社にとって欠かせない戦力となった頃、杉本さんは次第にブランド立ち上げのアドバイスも送るようになる。2022年、周囲の協力を得て、わずか1年弱でで山本と共同で『GAUCHER(ゴーシェ)』の立ち上げにこぎつけた。
人生の財産になった阪神での時間
横山のスカウトを担当したのは、名捕手の中尾孝義だった。中尾は日刊ゲンダイに寄せたコラムで横山についてこんなことを綴っている。
「素材が良かったのは間違いないが、入団前に左肩の状態を把握していたら、指名に踏み切らなかったかもしれない。プロの世界に入れてしまってよかったのか。申し訳ない気持ちでいっぱいだ」(2022年、日刊ゲンダイより)
そのことを横山に問うと、首を横に振った。
「タイガースに入団できて本当に良かった。他の人にはできない経験や、プロに入ったからこそ分かったこともたくさんあったので。僕ね、野球が大好きなんです。今でも仲良くしてくれるチームメイトがいて、それが人生の財産になっている。そして、アパレルも大好きなんです。好きなことを貫き、仕事をしているという責任も持てるようになりました」