酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
91歳で死去「阪神OBの辛口解説よっさん」「じつはジャイアント馬場の初対戦相手」身長165cm、日本一監督だけでない…吉田義男“ホンマな記録”
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/02/06 06:00
阪神監督時代の吉田義男。91年の人生を振り返ると非常に興味深いエピソードがある
今からさかのぼること40年前、1985年の阪神優勝は、大阪の風景を変えたのではないか。道頓堀川は、阪神ファンがカーネル・サンダースと共に飛び込むプールになり、夜に路上で騒いでも阪神ファンなら「かめへん、かめへん」となった。その熱気は、今も続いているように感じる。
ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布に真弓明信、平田勝男、佐野仙好、チーム打率.285、本塁打219本、2ケタ本塁打が6人。強力な打線を形成した選手は誰もが癖が強かった。吉田義男は真弓を内野から外野にコンバートしただけで、この打線を大きくいじることなく、馬なりで走らせて優勝に導いたように思う。
2023年に阪神を優勝させた愛弟子の岡田彰布も中野拓夢を二塁から遊撃にコンバートしただけで、打線はをほとんどいじらなかった。能力のある選手をうまく統御する才能を吉田から引き継いだのではないか。
フランス代表監督で「ウィウィ、ええでええで」
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1989年には野球フランス代表監督になる。集合時間も守らない、言いつけも聞かない、自由奔放なフランス人に手を焼いたとのことだが、テレビでは選手たちに「ウィウィ、ええでええで」とフランス語と京都弁のちゃんぽんで選手をなだめすかして練習させていたのがおかしかった。
ついこの間まで、テレビやラジオで解説をしていた。しかし90歳に近づいてからは、試合中でもしばらく無言の時があった。「よっさん、寝てるのと違うか」阪神ファンは心配したものだ。
筆者は、吉田義男は監督としての成績を加味しなくても――選手成績だけで、殿堂入りするにふさわしい選手だったと思う。
阪神の背番号「23」は1969年に吉田が引退してからつける選手はいない。

