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「原(辰徳)さんに坊主頭をなでられ…」巨人で活躍した右腕はなぜ“うどん屋”に?「10代で一軍抜擢」「原監督に怒られた日」條辺剛が語る巨人時代
posted2024/12/28 17:25
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
JIJI PRESS
直球とフォークを武器に…10代で開幕一軍に抜擢
飛躍のときはプロ2年目に訪れた。当時、一軍ピッチングコーチであり、條辺と同じ徳島県阿南市出身の水野雄仁が口にした「何か落ちるボールがほしいな」というひと言が、彼にとっての福音となったのだ。
「2年目はファームでローテーションをしっかり守りたい。そんな思いだったんですけど、一軍キャンプに帯同することになって、水野さんから“落ちるボールをマスターしろ”と言われて、フォークボールを教わりました。当時はストレート、スライダー、緩いカーブ、そしてツーシーム系のシュートを投げていましたけど、このフォークがうまくハマってくれたんです」
人差し指と中指でボールを挟んで投じられるフォークは條辺の大きな手に、そして真上から投げ下ろすピッチングフォームには最適の変化球だった。ルーキーイヤーに身体作りに励み、球速も10キロ以上アップしていた。150キロを超えるストレートを身につけ、さらにフォークで面白いように空振りをとれるようになった。
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長嶋の後を受け、この年から監督となっていた原辰徳からの期待も大きくなる。投手として、10代での開幕一軍切符は87(昭和62)年の桑田以来の快挙だった。
「長嶋さんは、畏れ多くて近寄りがたい存在でしたけど、原監督は兄貴的な雰囲気で選手サロンにいる時間も長くて、いろいろな選手と話すように意識していたようでした。監督もまだ40代前半でしたし、僕としてもすごく話しやすかったです」
「明日までに“いい頭”にしてこい」原辰徳の大目玉
長嶋が退任した後に行われた秋季キャンプでのことだった。條辺は監督就任が決まっていた原から大目玉を食らっている。