プロ野球PRESSBACK NUMBER

「原(辰徳)さんに坊主頭をなでられ…」巨人で活躍した右腕はなぜ“うどん屋”に?「10代で一軍抜擢」「原監督に怒られた日」條辺剛が語る巨人時代

posted2024/12/28 17:25

 
「原(辰徳)さんに坊主頭をなでられ…」巨人で活躍した右腕はなぜ“うどん屋”に?「10代で一軍抜擢」「原監督に怒られた日」條辺剛が語る巨人時代<Number Web> photograph by JIJI PRESS

プロ2年目、2001年3月の條辺剛(当時19歳)。巨人の投手では桑田真澄以来となる「10代での開幕一軍」に抜擢された

text by

長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

PROFILE

photograph by

JIJI PRESS

埼玉県上福岡駅近くの「讃岐うどん 條辺」。若くしてスター軍団の巨人で活躍した右腕は、なぜ“うどん”に魅せられ、15年以上続く人気店を切り盛りするようになったのか。14人の元プロ野球選手のセカンドキャリアに迫った『道を拓く 元プロ野球選手の転職』(扶桑社)より、條辺剛さん(元巨人)のエピソードを抜粋して紹介します。(全2回の1回目/後編へ)

直球とフォークを武器に…10代で開幕一軍に抜擢

 飛躍のときはプロ2年目に訪れた。当時、一軍ピッチングコーチであり、條辺と同じ徳島県阿南市出身の水野雄仁が口にした「何か落ちるボールがほしいな」というひと言が、彼にとっての福音となったのだ。

「2年目はファームでローテーションをしっかり守りたい。そんな思いだったんですけど、一軍キャンプに帯同することになって、水野さんから“落ちるボールをマスターしろ”と言われて、フォークボールを教わりました。当時はストレート、スライダー、緩いカーブ、そしてツーシーム系のシュートを投げていましたけど、このフォークがうまくハマってくれたんです」

 人差し指と中指でボールを挟んで投じられるフォークは條辺の大きな手に、そして真上から投げ下ろすピッチングフォームには最適の変化球だった。ルーキーイヤーに身体作りに励み、球速も10キロ以上アップしていた。150キロを超えるストレートを身につけ、さらにフォークで面白いように空振りをとれるようになった。

ADVERTISEMENT

 長嶋の後を受け、この年から監督となっていた原辰徳からの期待も大きくなる。投手として、10代での開幕一軍切符は87(昭和62)年の桑田以来の快挙だった。

「長嶋さんは、畏れ多くて近寄りがたい存在でしたけど、原監督は兄貴的な雰囲気で選手サロンにいる時間も長くて、いろいろな選手と話すように意識していたようでした。監督もまだ40代前半でしたし、僕としてもすごく話しやすかったです」

「明日までに“いい頭”にしてこい」原辰徳の大目玉

 長嶋が退任した後に行われた秋季キャンプでのことだった。條辺は監督就任が決まっていた原から大目玉を食らっている。

【次ページ】 言えなかった肩の痛み「居場所を失ってしまう…」

1 2 NEXT
#條辺剛
#水野雄仁
#原辰徳
#長嶋茂雄
#桑田真澄
#読売ジャイアンツ

プロ野球の前後の記事

ページトップ