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ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
「僕はセレモニーをしてもらうまでの選手になれなかった」大田泰示は静かにDeNAを去って…古巣コーチ就任へ「泥臭くやってこられたのが財産」
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byMiki Fukano
posted2024/12/26 17:04
すでにジャイアンツアカデミーのコーチとしての仕事も始めつつあり、取材は読売新聞ビルで行われた
「こんなに野球って楽しいのかってぐらい、伸び伸びと好きに野球をやらせてもらいました。本当、自分が思うようなプレーをさせてもらいましたし、感謝しかありませんね」
所属5年の間に、レギュラーとして初の規定打席をクリアし、ゴールデングラブ賞を獲得し、1億円プレイヤーにもなれた。大田にとって重要なキャリアを築けた北海道での日々だった。
横浜は最高のチョイスだった
そしてノンテンダーを経てのDeNA入団のとき「この選択は間違いではなかったと証明したい」と語っていたが、今はどのように思っているのだろうか。
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「最高のチョイスをしたと思っていますよ。広島から上京して、高校から神奈川でスタートして、終わりも神奈川というのは感慨深いものがあります。本当に縁のある土地なんだなって。ハマスタのファンの方々もウェルカムでたくさん応援してくれて、本当温かい言葉しか掛けてもらわなかった。後押ししてくれて一体となってプレーすることができましたし、改めてベストな選択だったと思います」
目尻のシワを深くし、力強い声で大田はそう言った。
ジャイアンツアカデミーを選んだわけ
そして新しい人生、大田は『ジャイアンツアカデミー』でジュニア世代の子どもたちを指導していく。いろいろな誘いはあったというが、なぜこの仕事を選択したのだろうか。
「ジャイアンツはドラフト1位で指名して頂き、僕が8年間過ごしお世話になった球団なので、もう一度ここに身を投じ、一からまた勉強し直して、ゼロからのスタートを歩みたいと思ったんです。何て言うんですかね、トレードで外に出てファイターズで素晴らしい経験をさせてもらいましたが、欲を言えばやっぱりジャイアンツでレギュラーを掴んで活躍するのがプロに入ったときのそもそもの目標でした。そういった意味では形は違いますけど、自分としてはジャイアンツに貢献したいと思い、お世話になることを決めました」
どんなコーチになるのか
初志を忘れることのない、義理堅い大田らしい選択だといえるだろう。果たしてどんな指導者になれたらと考えているのか。
「いろんなタイプのコーチの方がいると思うのですが、僕が今言えるのは……なにもわからない」
わかっていることは、わからないことだけだと大田は笑った。