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「たぶん最後の全日本なので…」青木祐奈22歳の“涙の引退示唆”はなぜ衝撃的だったのか?「つらい時期も長かった」5歳で始まった競技人生
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2024/12/26 17:05
全日本選手権フリーの演技を行う青木祐奈。この大会の後、引退を示唆した
5歳から始まったスケート人生
「辛かった時期はほんとうに長かったです」
以前、青木はスケート人生を振り返り、こう語っている。
そのスタートは5歳の頃。スケートに励んだ青木は、将来を嘱望されるスケーターとして注目を集めるようになった。小学生から全国大会で活躍し、中学1年生だった2014-2015シーズンは全日本ノービス選手権(ノービスA)で優勝し全日本ジュニア選手権でも5位と健闘、国際大会でも優勝を重ねた。
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好成績もさることながら、青木が注目された理由はジャンプにあった。今も武器とするトリプルルッツ-トリプルループだ。2015-2016シーズン、ジュニアグランプリシリーズのリガ大会で成功させたが、それは史上4人目のこと。そして今日も、プログラムに取り入れている選手は皆無に近い。
2014年にはアイスショー「クリスマスオンアイス」、2015年は「ファンタジー・オン・アイス」に出演するなど魅せる力にも着目されていた。テレビ番組で特集されるなど、スポットがあてられた。
「向いていないのかなと感じることもあった」
一方で影を投げかける出来事もあった。腰椎分離症の発症だった。年単位で苦しめられることになった。
「滑っていても痛いし、生活でも前後に動いたりする動作も痛かったです」
練習が望んでいるようにできないから成績は上がらない。その中で、下の世代の選手が伸びてくる。
「個人競技なので自分のやるべきことをやるのがいちばんですし、周りの結果はあんまり気にしてなかったんですけど、でも周りがどんどん強くなったり、自分が怪我して結果が出ないときにみんなが結果を出している状況は苦しかったし、自分に向いていないのかなと感じることもありました」
腰椎分離症の影響から徐々に解き放たれたかと思えた2019-2020シーズンの夏には左足首骨折の怪我に見舞われる。
1シーズン全休を経て復帰。大学2年生となった2021-2022シーズン、「いちばんのどん底」と表現する苦しい出来事に直面する。全日本選手権のショートプログラムで30位の最下位に終わり、初めてフリーに進むことができなかったのだ。