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「しんどいのは嫌いだったから…」陸上推薦で高校進学も1年で退部…元“根性ナシ”だった32歳の山本良幸が『SASUKE』で「黒虎のエース」になるまで
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byNumberWeb
posted2024/12/25 11:02
現在“ミスターSASUKE”こと山田勝己が率いる「黒虎」のエースである山本良幸。完全制覇も視野にはいるアスリートの予想外の学生時代とは?
SASUKEの番組当初からのキャッチコピーが『名もなきアスリートたちのオリンピック』。その出演者は「さまざまな職業の100人」とされている。まさに山本のような人に残された夢舞台であった。
山本は自らのひらめきに飛びついた。
「終わったな、俺のスポーツ人生。もう何もないんか」と打ちひしがれていたのが、「ちょっとちょっとSASUKEあるやん。忘れてたやんけ」とひとりツッコミを入れ始め、「SASUKEしかないやろ!」とがぜんヤル気になった。
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当時のSASUKEといえば、山本より1学年上の「サスケくん」こと森本裕介が新しいスターとなっていた。それでも山本はたかを括っていた。
「森本さん強そうだけど、まあ勝てるやろ」
内村の時と同じ論法である。根拠はない。
「SASUKEで勝負する」と決めるも…出場への高い壁
しかも、思いついただけで出られるほどSASUKEは甘くなかった。毎回100人しかいない出場枠を何とかもぎ取ろうと全国の猛者たちが死に物狂いで努力しているのだ。
SASUKEに出る主な方法としては、書類選考を通過してオーディションを突破するか、予選会を勝ち抜くしかない。山本は在学中に初めて申し込んだが当然のように落選。社会人となり、住宅販売の会社に勤め始めてからも応募し続けた。書類選考がまるで通らないので、東京での予選会に参加したこともあったが、最終面接まで残ったものの結果は同じだった。
SASUKEへの出場が叶わぬまま、社会人になって3年が経った頃、山本は仕事の過酷さに耐えられずに会社を退職している。
「転職するのもストレスだし、一体何がいいんだろう、一生続けられる仕事ってなんだろうとすごく考えました。いろいろ模索した中で教員の仕事っていいなと思ったんです」
ところが、山本は在学中に教員免許を取得していなかった。そのため関大に戻り、2年間勉強し直した。その間、学校ボランティアの非常勤講師をしたり、親戚の材木屋の仕事を手伝ったりもしていた。
「材木屋の仕事はすごかったですね。一度いらないって言われたような木をキレイにして磨いてまた販売できるようにする。いらない木なのですっごい汚れてるんですよ。ゴキブリとかムカデがびっしりついてる。それを手で拭きまくるんです。あれは今思い出してもえぐいっすねぇ」
そうこうしているうちにSASUKEの方で転機が訪れる。山田勝己が若手育成を目的に結成した「山田軍団黒虎」に入ることになったのである。
<次回へつづく>
「SASUKE2024 第42回大会」
TBS系 12月25日(水)よる6時~放送予定