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「俺は勝負師じゃない…」天才棋士・中原誠に敗れた“元天才少年”が賭博で多額の借金も「電話代だけは払っておくものだね」と語ったワケ 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2024/12/09 06:01

「俺は勝負師じゃない…」天才棋士・中原誠に敗れた“元天才少年”が賭博で多額の借金も「電話代だけは払っておくものだね」と語ったワケ<Number Web> photograph by Kyodo News

1965年の芹沢博文。中原誠らとしのぎを削った棋士人生について、在りし日を知る田丸昇九段が振り返る

 1973年の棋聖戦で米長邦雄棋聖に内藤國雄八段が挑戦したときは、両者の名前をもじって「クニオあげての戦い」と形容した。「ドンドンはイギリスの都、シアトル(飛車取る)はアメリカの港」と、現在の豊川孝弘七段のようなダジャレも飛ばした。そんな軽い口ぶりから一転して、専門的な解説でびしっと決めるのが名調子だった。将棋を愛好するお天気キャスターの草分けの森田正光は、自身の天気予報の番組で芹沢の解説を参考にしたという。

 芹沢の軽妙な口調は、やがてメディアに注目された。

 76年、関西のテレビ局が『日曜天国』というトーク番組を立ち上げ、芹沢に司会を依頼した。ゲスト出演者が独断と偏見で、世の中の問題を斬りまくる内容だった。芹沢は当初、芸達者の面々に食われてぎこちなかったが、次第に持ち味を発揮した。詰将棋コーナーを作り、弟分の若手棋士を出演させた。

山城新伍との共演から「チョメチョメ八段」と

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 その後、芹沢は『アイ・アイゲーム』というクイズ番組にもレギュラー出演した。司会の山城新伍が出題する文章の一部の伏字を穴埋めする企画で、それを「チョメチョメ」と言った。芹沢は卑猥な響きがするその言葉を気に入り、ある著書の表題の一部を「××(チョメチョメ)八段」とした。また、豊かな才能を認めていた青年時代の谷川浩司(現十七世名人)を世間に知ってほしいと願い、谷川の名前であえて回答したことがあった。

 芹沢は81年に公開された落語界を題材にした映画『の・ようなもの』(主演・秋吉久美子)に特別出演した。女子高生の父親役を自然体で演じ、男性落語家に詰将棋を出題する場面もあった。

筋の悪い賭博にかかわり、多額の借金を

 芹沢は、このように持ち前の多芸さを発揮して幅広く活動してきた。その一方で、20代後半に筋の悪い賭博に関わって多額の借金を作り、経済的に苦しい時期があった。

「どんなに金がなくても、電話代だけは払っておくものだね。いつかどっかから、仕事を依頼する電話がかかってくることがあるんだ」

 あるとき、私に対してしみじみと語ったことを、今でも思い出す。

 そんな芹沢は酒豪としても知られる。有名作家である山口瞳を筆頭に交遊は広く、さらには首相を務めた田中角栄からも政界進出を持ちかけられたことがあった。

〈つづく〉

#3に続く
「1週間、酒も競輪も誘わないでくれ」“元天才少年”が谷川浩司19歳との初対局前に…「医者はいつ死んでも、と」芹沢博文51歳の太く短い人生
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