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33歳石川遼、なぜ米ツアー再挑戦を決めたのか?「(松山)英樹が活躍している今なら…もう一度やらせてあげたい」関係者が漏らした本音
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph byKYODO
posted2024/11/15 17:01
「ダンロップフェニックス」では6年ぶりに松山英樹(右)と同組になった石川遼。12月3日から行われる米下部ツアーの2次予選会にエントリーしたことを明かした
「遼には僕らと違う世界の見え方があるかもしれませんね」
ラウンドを見守っていたあるツアー関係者がつぶやく。
印象的な言葉があるという。かつてアメリカでのPGAツアー戦会場で会った時のことだ。日本の会場とは違う。ラウンドに同行してまで応援する人はまれだ。だが石川は、人もまばらな観戦エリアをみながら、こう言ったという。
「でも、実際にはカメラを通して、ものすごくたくさんの人がみてくれているんですよ。こっちでプレーしていると、すごく不思議な感覚になります」
声援は届かない。重圧だけがある。
これもまさに、石川だけの見え方、だろう。その関係者は言う。
「遼には遼だけが背負ったものがあるから、重圧のほうがより大きかったんだとも思います。(松山)英樹がこれだけ活躍している今なら、もう少し重圧なくプレーできるはず。もう一度やらせてあげたいですよね」
ZOZOチャンピオンシップ最終日。石川は73とスコアを崩し、56位タイに順位を落として大会を終えた。
世界のトップを、もう一度目指すのか。目指せる自分を、本気で作り直すのか。そう問われる局面が、皮肉なことに「世界への近道」とも見える大会で訪れた。
石川だけに見える景色が、そこにはあった。そして「内なる戦い」は今後も続く。いったいどんな帰結を迎えるのだろうか。
「ZOZOで苦しんだ甲斐があった」
2週間後。石川は『三井住友VISA太平洋マスターズ』で国内ツアー20勝目を挙げた。
勝負どころのホールでは、高さ3ミリと極端に低いティーアップでドライバーを打った。絶対に左に曲げないための方策。だが、以前より手元が低くなる新しいスイングでは、本来は難しいはずのショットだった。
同行したスタッフは、感慨深げにうなずく。
「それだけ新しいスイングと真摯に向き合って、精度も慣れも伴ってきたんだと思います。ZOZOであれだけ苦しんだ甲斐がありました」
本人が言うところの「技術的な負債」が解消された証だった。
優勝が決まると、石川を慕う選手たちからペットボトルの水をかけられた。手荒い祝福。笑顔をはじけさせたが、そのまなざしはやはり、太平洋の向こうに向けられていた。
その2日後。次戦『ダンロップフェニックストーナメント』が行われる宮崎のフェニックスCC。石川は報道陣を前に、12月に行われるPGAツアーの予選会に出ることを表明した。
石川遼は進む。
暗がりをかがり火で照らしながら。再び世界に挑戦する。