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「オレは走り終わった後、死ぬ気だから」青学大“遅れてきた大エース”鶴川正也の執念…箱根駅伝は「5区でも6区でも良い」原晋監督も「今日はダブルA評価」
posted2024/11/04 17:00
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Kiichi Matsumoto
何が勝負を分けたのか。
鶴川正也(青学大・4年)の答えは単純にして明快だった。
「気持ちですね。最後は気持ちで勝ちました」
今回の全日本大学駅伝は、2区で大きく展開が動いた。
レースを動かしたのは、創価大の吉田響(4年)と鶴川である。だんご状態の3位で襷を受け取った吉田が3km8分16秒のハイペースで飛ばすと、1秒差で追う青学大の鶴川がただ一人その背中につき、見る見るうちに2人は後続との差を広げてみせた。
手に汗握るスパート合戦を制し、1秒差で区間賞(区間記録まではあと3秒)を獲得したのが鶴川だった。
「ラスト1kmを切って、何回かスパートして、それでもついてくるのでけっこうびっくりして(笑)。でも久しぶりの痺れるレースだったので、ワクワクして楽しかったです」
出雲に続き連続区間賞…「遅れてきたエース」の開花
これで、出雲駅伝に続き、全日本大学駅伝でも区間賞を獲得。ロードでも強いことを改めて証明してみせた。
高校時代から都大路1区区間賞など、世代トップクラスの活躍を見せてきたが、ついに本来の力を取り戻したと言えるだろう。
振り返ると、大学に入ってからの3年間は苦難の連続だった。
1年目は疲労骨折の影響で駅伝シーズンを棒に振り、2年目もやはりケガの影響で三大駅伝には出られなかった。昨年の出雲駅伝でようやく大学駅伝デビューを果たしたが、6区区間7位と苦しむ。己の不甲斐なさが赦せず、鶴川は翌日からの練習でさらに自分を追い込んだ。その結果また足を疲労骨折し、その後は走れないままシーズンを終えた。
当時の心境について、この春、鶴川はときおり声を詰まらせながらこう話していた。
「もう辞めようかなって、本気で思って。でも、そのつど両親やチームメイトが助けてくれて……。本当にこの3年間、僕はたくさんの言葉をかけてもらったので、今度は自分がみんなを助けられる存在になりたいです」
最終学年となった今季は春先から好調をキープ。5月の関東インカレ5000mでは留学生相手に勝ちきり、6月の日本選手権5000mでは実業団選手に混じって4位という好成績を収めた。